Monday, July 03, 2006

ハシリュー政策

橋本龍太郎氏はバブル経済の絶頂期から、長期停滞までの間に蔵相、通産相、首相といった要職を務めた。

1989年、海部内閣の蔵相として、金融機関の不動産融資に上限を設ける「総量規制」を導入し、バブル退治をした。

1994年、村山内閣の通産相として、日米自動車摩擦の回避、解決に尽力し、1996年首相に就任する。

橋本氏は、①行政、②財政、③経済、④金融システム、⑤社会保障、⑥教育の「6大構造改革」を掲げ、主に行財政改革、金融制度の抜本的改革(金融ビッグバン)に取り組んだ。

行財政改革は、「財政構造改革法」を成立させ、財政赤字の対GDP比を3%以内に抑え、消費税率を3%から5%に引き上げ、健康保険を1割から3割負担に増した。これは来る少子高齢化社会に向けた財政健全化策だったが、この緊縮財政と増税により、経済は低迷し、金融恐慌を招いた。結局、橋本氏は景気浮揚策をとらざるを得なかった。

また、橋本氏の目玉政策として金融ビッグバンがある。これは、金融市場の規制を緩和・撤廃して、金融商品・サービスの利便性を高め、金融市場の自由化、効率化、活性化や国際化をはかるものと解釈されている。

日本の金融市場のより円滑、効率的に資金を循環させることを目的に、間接金融(銀行を仲介する金融取引)から直接金融(株式、国債市場など銀行を仲介しない金融取引)へと移行するために規制改革を図った。証券会社を免許制から登録制へ変更し、株式売買委託手数料の自由化を進めたことはその一例である。これにより、個人の資産運用の可能性が定期預金から、株式、国債や投資信託などへ大きく広がり、また企業の資金調達も直接市場で行う機会が増えた。

また、外為法を改正して、一般企業でも外貨を自由に取引できるように、外国為替業務の自由化をはかった。個人でも、外貨預金が自由に持てるようになった。

さらに、銀行と証券、生保と損保の業務の相互参入が許され、持ち株会社(他会社の株式を所有することにより、その会社の事業活動を支配することを主な事業とする会社のことで、自ら事業活動をしない場合を、特に「純粋持ち株会社」という。自らも事業を行っているのは「事業持ち株会社」。)を通して、銀行は証券業務に、証券会社は銀行業務に参入できるようになった。保険業界でも、生命保険と損害保険の業務相互乗り入れが始まった。

巨大金融コングロマリット(三井住友、三菱東京UFJ、みずほ)が金融ビッグバンを期に登場し、金融の大再編が起こったことは記憶に新しい。しかしながら、日本の金融サービスがより便利で、使いやすいものになったかどうかはよくわからない。

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