Friday, June 03, 2011

私はそれでも菅首相を支持する

内閣不信任案
菅内閣に対する不信任決議案は2日午後、衆院本会議で採決され、賛成152、反対293(投票総数445、過半数223)で否決された。

不信任案は自民、公明、たちあがれ日本の野党3党が共同提出した。菅首相の政権運営や党運営に批判的な小沢氏支持議員らが、野党に同調して賛成する動きをみせた。5月31日夜に会談した鳩山由紀夫前首相が首相に退陣を要求。小沢氏は1日夜、不信任案に賛成する意向を表明するなど造反の動きが広がり、不信任案可決の公算が大きくなっていた。(産経新聞、6月2日木曜日)

読売新聞(6月3日)の玉井政治部長は、不信任案の否決は「菅内閣の『信任』」を意味しない、という。「期限付きの延命措置」だという。しかしながら、それは、「延命措置」というより「残された唯一の選択」ではなかったか。このまま総選挙をやれば、民主党は負け、自民党が与党になるかもしれない。しかし、その自民党、又は公明、みんなの党に後を引き継ぐだけの指導力を発揮する者がいるだろうか。いなかった、のではなかったか。

何故菅首相はやめなければならないか
「菅首相退陣」、そして「ポスト菅」の期待が高まっている。しかし、私はどうも菅首相がやめるべき理由が見えない。「菅退陣」を声高に言っている人々を正直理解できない。読売新聞は6月3日の社説で「政府与党が一丸となった機動的な震災対応ができない」ことを「菅首相の責任」とし、「首相退陣」の具体的な理由に掲げるが、理由にはなっていない。むしろ、「3.11」が「首相退陣の理由」として、政治利用、つまり与野党の政局に利用されているように見える。

「ポスト菅」の姿とは
今我々が考えるべき政治課題を3点にまとめよう。①震災復興、②税・社会保障の改革、③TPP・EUとのEPA交渉。そして、こう問いかけよう。「菅首相の退陣」によってこれら3点の問題が早く解決するのか。さらに、「菅首相の退陣」はより多くの国民、特に震災の被害者の理解と福祉向上に役立つか。

この点を我々は真剣に政権与党ならびに野党議員に問わなくてはならない。これは有権者たる我々の責任と義務でもある。

そして、民主党内部の一部(小沢グループ他)が「菅首相の退陣」を要求するならば、「ポスト菅」の具体的構想と、「ポスト菅は菅首相よりもいい政権運営ができること」を早急に国民の前に示すことが必要である。「・・・レポート」でもいい。西岡議長による「西岡論文」はただの「首相退陣要求」に過ぎず、「首相退陣後のヴィジョン」を示さなければならない。

さらに、野党が首相の退陣を要求し(自民大島氏)、その引き換えに予算関連法(特例法)案の成立に協力する、というのであるなら、政権与党である民主・国民新党は「ポスト菅」についてどのように考えているのか、対案を示すように野党側に強く要求すべきである(この点は民主山井氏が指摘している)。これこそ、政権与党の責任である。

指導力とはなにか
昔田中角栄元首相は政治記者に「あなたは批判するのが仕事、私は批判されるのが仕事」と言って、政治記者との会食に快く応じた、というエピソードを政治評論家の三宅久之氏が語っていた。

「指導力のなさ」が菅首相に対して言われるが、強力なリーダーシップを評価される小泉首相もかつて「丸投げ」と揶揄され、そのリーダーシップにマスコミは疑義を投げた。指導者は常に様々な利害調整の場に立たされ、難しい選択とその政策実行を迫られる。指揮する組織が大きければ大きいほど、その調整と意思決定には時間がかかる。国会・党・政権内部での見解・意見の相違も当然でてくる。法案成立のため、協力を仰ぐのに時間がかかる。菅首相の法案成立の「鈍さ」はそこにあるのではないか。もちろん、菅首相は野党に早期に協力をしてもらうことを嘆願すべきである(自民谷垣氏に入閣要請しているが、谷垣氏は断っている。)

とにかく、リーダーに対する「対応が遅い」、「発言がはっきりしない」、「政治空白だ」といった非難・批判は、当然のことである。「指導者は批判されるもの」と言う言葉の背景には、なによりも時間のかかる意思決定が、野党との調整もさることながら、常に自らが信条としてきた政策理念または、国民に約束した公約(マニフェスト)と果たして整合性があるのか、という「周到な検証と確認作業」を常々やり通さなければならない政治的責任を背負っていることがある。この政治的責任を全うすることこそ、「指導力」ではないか。菅首相にそれがあるのか問わなければならない。

人は「白馬の騎士」のようなリーダーを求めるが、議会制民主主義における意思決定と実行の最高の友人は「時間」なのである。「時間がかかる」事を理由に「首相退陣」を求めることは、3.11の対応を早くして欲しいと言う世情から当然ではある。が、3.11の対応は、首相だけの問題でなく、全国会議員の政治責任の下で果たされるべき問題であるはずだ。(国会内で、予算関連・震災復興のための議員立法がこれまでいくつ出ただろうか?地元の後援会の写真ばかりHPに載せてる議員の先生方が多いように思うのは私だけだろうか。)

マニフェストの大きさ
ところで、「首相退陣」とならんで、マニフェストの「大胆な見直し」を読売新聞は唱えるが、2009年8月30日に第一党として、衆議院議員総選挙で勝ったのは、首相交代劇に明け暮れる自民党政治への苛立ちもあったが、なによりも「子供手当て」に代表される「民主党のマニフェスト」も大きい。そのマニフェストの政策原資は、特別会計などの霞ヶ関「埋蔵金」でまかなうとし、徹底した「無駄の排除」を掲げて「事業仕分け」にも、ややパフォーマンスであったかもしれないが、着手するとした民主党の意思表明は,国民に自民党にはない「新鮮味と爽快感」を与えたのではなかったか。

しかしながら、「普天間基地問題」について自ら責任を取り辞任した鳩山首相に代わり、菅首相が政権運営するにいたった背景には、そうしたある種の国民に与えた「新鮮味と爽快感」を踏み潰した鳩山首相の、思いつきとしかいえない発言の転換と、自分たちが政権を担うと言う気概に欠如し、評論家郡と化した「(小沢系)民主党議員」がいたのではないだろうか。

マニフェストは国民との約束である。民主党よりも、そのマニフェストに票を投じた人もたくさんいよう。もしこれを変更するのなら、民意を問わなければならないのではないか。マニフェストを何が何でも実行する、という小沢氏の姿勢は評価に値する。政治は「国民との約束」の上で成り立ち、それを果たすことこそ政治の存在理由である。これを裏切れば、政治不信は深まり、日本人はさらなる混迷の淵に突き落とされよう。

嘘つきはあなただ!
そう、政治は「信頼」なのであり、「約束」なのである。政治哲学者なら「契約」と言うかもしれない。その時々の情勢で、もしその契約を変更するのなら、事前に報告し、民意を問うのが、政治の信頼を損なわない良策である。

そして、その「約束」に基づき、信任された松木議員の「造反」についても疑問がわく。松木氏に問いただしたい。「先生、『造反』を国民と約束してきましたか」と。横粂議員について、「先生、民主党を離党すると約束されましたか?」と。そして、いささか政治家として「発言の重み」を自覚しない「不信任案に賛成するといって反対に転じた」民主党議員の方々に「あなたがたこそ、嘘つきだ」と。「あなたがたこそ、政治不信の元凶だ」と。

評論家をしたいのなら、議員バッチをはずし、私と同じように民間で活動すべきだ。税金で評論家活動をしないでいただきたい。政治家の仕事は、「菅辞めろ」などという「評論」ではなく、日々日本を取り巻く環境を研究し、関係者のヒアリングを重ね、法律を作り、実行に向けたスキームを国民に示し、国民と対話することである。それができないであるなら、議員辞職すべきである。

菅首相のやるべきこと
真のリーダーとは「白馬の騎士」ではなく、「厳しい批判に真剣に直面できる」人である、と私は考える。メディアのいっていることはやはり間違っているように思う。「菅首相退陣」を求める読売新聞も、「ポスト菅」を示していない。「世論形成」に値する誠意と責任ある報道をやるならば、多少ばかげた空論でもいいから、「ポスト菅」を示すべきだ。

しかし、私は菅首相は辞めるべきでない、と考えている。「第2次予算案・特例法案を成立させ、3.11対応に全力を尽くすべきである。」この一言に尽きる。誰かもっといい首相候補がいるだろうか。誰が、何を、どのようにするのか。ちゃんと示してから、「首相退陣」を論じるべきだ。菅首相は今ただやるべき上記のことを実行すればよい。これこそが、政治空白を防止し、国民の福祉に寄与する唯一の残された良い選択なのである。

2 comments:

Anonymous said...

私も全く同じ意見で同感です。
マスコミは、菅首相退陣が既定の事実であるかのように報道しています。
なぜ退陣する必要があるのか、理解できません。何か悪い事でもしたというのでしょうか。

Taro said...

コメントありがとうございます。確かに菅首相の退陣理由はないです。震災復興の対応が遅いと言うのがあるかもしれません。菅首相が民主党内での支持が得られないというのもあるかもしれません。法律家なら「退陣の根拠は?」と聞きます。経済学者なら「退陣すれば一体どのような効果が期待できるのか?」と聞きます。いずれの質問に正確に答える人はいないと思います。