2008年10月13日追記、修正
「蟹工船ブーム」
蟹工船が日本でちょっとしたブームらしい。日本の階層格差社会が喧伝されて久しいが、その煽りか?
小生、蟹工船は読んだことがない。今日資本主義社会の限界に直面している、と早急な結論を出す向きもあるが、蟹工船の時代といまはそもそも同じなのか?
日本は比較的豊かな国だと信じるし、ストリートチルドレンや貧民街と呼ばれる地域は存在しない。
(いわゆるアイリン地区(大阪西成区)は貧民街ではなく、歴史的に見て、日雇い労働者の溜まり場に過ぎない。これを貧民街と見ることもできようが、あの地域に貧しい家族や子供が住んでいるわけでは特にない。)
新しい時代
今は新しい時代に差し掛かっていることは確かだ。しかしそれは資本主義の限界とか新しい社会主義、共産主義の到来ではなく、資本主義社会が新しい時代に直面している、ということである。
大まかに見て、先進国は少子高齢化に直面し、低成長の中高齢者を支えるために増税の必要性に直面している。対して、発展途上国は人口の増加の勢いがとまらず、高成長の中都市と農村の経済格差は拡大、環境汚染が深刻化し、貧乏人と金持ちの格差は拡大の一途をたどっている。
いずれにせよ、経済成長の果実が経済社会の構成員に等しく分け与えられない(資源が若者から年寄りへ、労働者から金持ちへ、という具合に)という問題を抱えている。これは新しい課題ではなく、カール・マルクスが生きた時代からある古典的な問題である。
しかし、今の日本で生活が苦しいという実感は根強いが、こういうことをいう人たちは大概私より上の世代である。つまり明るい未来が約束されたかに見えた高度成長を知る「団塊の世代」か、それよりも少し後の世代である。そういう世代に人からすると、今は苦しいかもしれない。
私の世代は、就職氷河期だといわれ、不本意な仕事でも歯を食いしばって黙々と働くことが疎まれつつも、高く社会的に評価されるのではないかとひそかに期待している世代ではなかろうか。未来は掴み取るのではなく、寝て待て、という「大人しく現実志向の世代」。
現状や先入観、世間の常識に反論しない。ある意味、保守的で堅実で比較的質素な生活態度を志向する「若年寄の世代」。そう考えている。
ある大学教授の見を思い出す。「今の子はおとなしいので、指導がしやすい。」全学連世代を知る老教授は、皮肉を込めてなのか、われわれの世代をこう評する。企業の人事担当者も今の子は「大人しい」という。そうかもしれない。
未来がわからない
われわれの世代が比較的おとなしいと評される背景には、比較的未来が描きにくくなったことがあるかもしれない。しかしこれは、今に始まったことなのか。
イギリスの経済学者リカードの生きた時代、まさに工業資本主義の勃興期。機械工業が発達し、イギリスは「世界の工場」と評された。しかし一方で、機械の導入で仕事の機会が奪われたかに見えた工場労働者は自らの失業の原因を機械に求めた。機械打ちこわし、「ラダイト」(Luddite movement)である。
しかし、その後どうなったか。やがて労働者は新しい職に就き、前世代よりもよりよい時代を築いた。
ちょうどそのような時代に似ているのではないか。新しい仕事、新しい未来が過去の延長線上に見えない。不安におびえ、だからこそ既成の概念、制度、風習そして組織に依存せざるを得ない。
まさに、今の我々の世代の態度である。「大人しさ」の背景には「不透明な未来」があるのだ。
「新しい考え」
未来は見えない。だから不安である。それはむしろ自然だ。
不安を和らげるため、不安を乗り越えるため、そして、不安の先に見える近い将来を生き抜くための「新しい考え」が新しい時代には必要なのかもしれない。
私はその考えがどのようなものかはまったく見当がつかないが、たぶん意外に我々の身近にあるものかもしれないと感じている。たとえば、それは我々の歴史の中に、我々の先輩の中に埋もれているかもしれない。
蟹工船ブームは、まさに「新しい考え」が古い世代と遠い歴史の中にあるのではないかという大方の人々の実感を表しているかもしれない。一部の人が指摘するように、「それは現代なのだ!」と。
「新しい考え」から「新しい生活」へ
またこういった回顧的風潮こそが「現代」という時代の見通しの悪さ、新しい事態への不安を証憑しているのではなかろうかとも勘繰りたくなる。「新しい考え」が古い考えの中にあるというある種の説得はそういった見通しの悪さへの対処法だと喧伝されるが、結局は「新しい考え」はわれわれの生きる今の時代にしか存在しないのではないか。
今の時代と蟹工船の時代とは明らかに似て非なる世界だ。今のほうが物質的に恵まれている。結局我々の先人がその時代の考えを作ったように、「新しい時代」に生きる我々こそが「新しい考え」を作っていかねばならないと思うし、その営為を惜しんではならない。古い考えに固執してはならないし、古い考えから学ぶことは知的賞賛に値せずむしろ知的怠慢だ。
今はチャンスではないか。新しい考えの先に「新しい生活」が待っている。そう期待してもいいのではないか。理想的な生活を思い描くことで「新しい考え」が見えてこよう。そしてその「新しい考え」を作るのは我々の世代的課題なのである。
2 comments:
蟹工船ですが、こちらのURLで読めますよ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html
匿名さん、
リンクありがとうございます。
しかしながら、当ブログに日本人の方もいらっしゃるのですね。いらっしゃるのはもっぱら英語を使う人たちで、実際このブログは英語を使うことを基本にしています。ので、同胞の方は敬遠されるのではと考えておりました。
ぜひとも機会があれば、またいらしてください。
多少の考えの違いはあるでしょう。当ブログは互いの考えの違いや言語、文化の違いを超克することで新しい世界と出会おうという趣旨で運営しております。(少なくともそのつもり…)
それではまた会いましょう。
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