Monday, November 21, 2011

我が経済学研究

最近、天牛書店(古本屋)で根岸隆『ミクロ経済学講義』を見つけ、30歳にして始めて読んだ。現段階では読破していないが、非常にスマートで、読みやすい本である。僕向きの本に久々に出会った気がする。もちろん他のテキストでミクロ経済学に習熟していることが、この本の内容を理解するための必要条件になる。

アマゾンのレヴューで、小生はかつて西村清彦氏の『経済学のための最適化理論入門』、成生達彦氏と岸本哲也・吹春俊隆氏の『ミクロ経済学』を評したが、西村本は、勉強を進めるうちにDixitのOptimization in Economic Theoryに代替できると考え、古本屋へ売却した。成生&岸本・吹春『ミクロ』本はまだ手元にあるが、「そろそろ卒業しなければ」と思いきや記述が簡潔で、教えられることが多く、今だ捨てられないでいる。

西村和雄氏の『ミクロ経済学』(東洋経済)は大学院へ入る前に使っていたが、VarianのMicroeconomic Theoryに代替できると考え、古本屋へ売却。いろいろあたらずに、少数のテキストをじっくり読んで身につけようと考え、他の経済理論本も売却し、ミクロはVarian(1992)とDixit(1990)、マクロはBarro=Sala-i-Martin(2004)とRomer(2006)、斎藤誠『新しいマクロ経済学』(ただし、前の版、1996版)(最近は加藤本も加わった)に絞って集中的に勉強している。2007年から取り組んで早4年。「大きな本から何も学べない」という加藤涼氏の『現代マクロ経済学入門』(2006)の序文ではないが、小生も全く同感している。いろいろ寄り道せず、最初から上記に絞って勉強すればよかった。

今だよくわかっていない項目もあり、経済学の勉強は平坦ではない。小生は経済学に向いているとはやはり思わないが、それでも続けることに意味があると考え、時間を見つけて勉強に集中するようにしている。

大学ではなく民間の専門学校で経済学を講ずる今の身分は決して安定ではないが、この機会を大いに利用し、更なる経済学研究にまい進していきたい。

ちなみに今の研究テーマは「ミクロの意思決定とマクロ現象ならびに政策の関連性」。

過去は国際金融を勉強しようと考えていたが、これはマクロ経済学の周辺領域であると考えるようになり、マクロを勉強しなおそうとRamseyモデルからやり直した。やがて、マクロ経済学を勉強するうちにこれは「(動学的な)一般均衡理論の応用」だと考えるようになり、ミクロ経済学を消費者⇒生産者⇒市場均衡と順番に勉強しなおした。

そして、ミクロ経済学は「最適化」と「均衡」という2つの要素で構成されていると考え、最適化理論(Maximum Principle&Dynamic Programming)を勉強し始めた。これら現代経済学の根幹(最適化と均衡)について、簡潔に触れているのがSchelling(1978)本だと思うようになった。これはゲーム理論本ではなく、経済と社会現象の見方を論じた社会科学の経典である。もうすぐ日本語訳が出るらしいが、何故30年もの間翻訳されなかったのが不思議である。しかしながら、Strategy of Conflicts(1960)はまだ読んでいない。(関連本にAkerlof(1984)があるがこれも優れた古典であるが、まだ読破していない。こちらは日本語訳がある。)

非常に大きな研究テーマであるが、小生の中では現代の経済学を「最適化」・「均衡」の観点から簡潔にまとめた文献がないと思う。広くミクロ経済学本ではいくつかあるが、どれも総花的な観が否めず、面白くない。大学院教科書のMasColell(1995)が最たる文献である。

SchellingのMicromotives and Macrobehavior(1978)やBecker&MurphyのSocial Economics(2000)で扱われたテーマを自分なりに解読し、modelを組み、個々人の選好の変化、社会的な好みがマクロ経済にどのような影響を与えるのかを、学部ミクロ&マクロの知識でも読み解けるぐらいに簡潔にまとめていきたいと思っている。現実に起こっている経済の均衡を理解するためには、ミクロ経済学、マクロ経済学の違い、古典派・ケインズ派の相違を超えて、社会学や心理学といった周辺領域をも統合化しないといけない。

「選好」の研究は決して新しい分野ではなく、既に多くの先行研究が存在している。しかし、少しでも現実社会への視座を広げようとするとき、古いテーマを洗い出すことが必要だと考えている。いまはそのための貴重な時間である。

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