Saturday, January 19, 2013

リフレ派への鎮静剤

リフレノミクス
経済学とは実につまらなく、しかし実に人を夢中にさせる。

この20年間、日本の停滞は日本人の生活だけではなく、精神にも重大な影響を与えた。日本人を取り巻く閉塞感は、新しい言説の登場を待望させるのに実に好都合であった。

このような中で、「リフレ派」という宗教が誕生した。この宗教は、日本経済の停滞は「中央銀行たる日本銀行のベースマネーの拡大によるインフレ策によって日本が復活する」という実にテクニカルに聞こえて、まったく実体を伴わない教義から成り立っている。

この宗教をここでは「リフレノミクス」または「リフレ派」と呼ぶ。

この10年小生もこの宗教の教義に長らく悩まされた。しかし、そろそろリフレ派に疑義を提示する時ではないのだろうか。

この教義の真偽を世に問い、まっとうで冷静な国民的議論と関心を形成する時ではないのか。

勧善懲悪の経済学
まずリフレ派の論点を整理しよう。経済評論家の勝間和代によると、

「日本の長期停滞の原因はしつこく続いている「デフレ」という現象です。経済というのはモノとお金のバランスによって成り立っています。しかし、お金の供給を長いこと怠ってしまうと、そのバランスが崩れ、お金が極端に不足します。」

と続き、

「人々はモノよりもお金(紙幣=印刷された紙)に執着する現象が発生するのです。この現象がデフレです。人々は紙幣(=印刷された紙)を欲し がってモノを買いません。モノが売れないので企業の業績は悪化し、失業が増え、若年層が定職に就くことができず、世の中に悲観ムードが広がっています。」

と日本経済の現状を指摘する。そして、その対策として、

「デフレと円高を解消する唯一の手段は、政府と日銀が協調して貨幣量を正しい形(非伝統的なオペも駆使して)で増加することです。」

という。この文言こそ小生の言う「リフレ派」の「教義」である。

これをよく読むと、日本の長期停滞を作った元凶は、それを今まで放置した政府と日本銀行である、と見える。

リフレ派は他に、岩田規久男、上念司、浜田宏一、飯田泰之、田中秀臣など枚挙にいとまがない。先の勝間氏もその一人である。

彼らは一様に、『日本経済の停滞は「日銀の無策」である』というマントラを唱えている。この教義から、『貨幣を日銀はばらまくことで日本は復活する』という法を世に広めている。

この法の内容は果たして本当なのか。

実に20年に及ぶ経済停滞・長期不況は日本人の心の中に、「長期停滞の『悪者』を退治することが、この停滞から抜け出られる」という、日本人が好きな「水戸黄門」に代表される純粋な「勧善懲悪」を芽生えさせてしまった。悪者を退治すれば万事解決。その悪者こそ「日本銀行」だという。

この純粋かつ単純な勧善懲悪こそが、リフレ派の布教の原動力になっているといえよう。

リフレ派の始祖はだれか
リフレ派の始祖は、ポール・クルーグマンであるだろう(もっと遡ればミルトン・フリードマンか)。日本語版はこれである。

彼は純粋なラムゼーモデルを使い、

「実質利子率をインフレ期待を起こすことで低下させ、1人当たりの実質生産(消費)量を増やせる」(フィッシャー方程式: 実質利子率+期待インフレ率=名目利子率)

即ち、インフレにより国民所得を高める、景気を良くすることを指摘したのである。
 
しかし、このモデルそのものに問題はないだろう。クルーグマンは、一般向けにもう少し簡単なモデルで説明して見せた。少し長いので端的に話そう。

ベビーシッター経済学
 クーポン券と引き換えにベビーシッターを人々の間でやり取りする地域を考え、これをマクロ経済とみなす。実に明快なたとえ話である。

このモデルのオチは、「クーポン券を地域に撒くことにより、この地域のベビーシッターのやり取りが活発化し、景気が良くなる」というもの。

実に単純な帰結であるが、経済モデルの仕組みを教えてくれるいい教材でもある。しかし、問題が2点ある。先のクルーグマンのモデルでもそうであるが、

(1)なぜ、ひとはあるときを境にクーポン券を使わなくなるのか
(2)本当にクーポン券をばらまけば、ベビーシットはより活発に行われるのか

という問題が付きまとう。リフレ派の教義はこれらの点に全く答えていない。

(1)については、大した問題でないかもしれない。「心理的な不安」が地域に蔓延することにより、クーポン券を控えておく人々が増えた。すなわち、クーポン券に対する「需要」が増えてしまい、いわゆる「流動性の罠」に陥ってしまった。 この「罠」を克服するためには、

(2)のような「クーポン券をばらまく」ことが解決策だと、クルーグマンは言う。

クーポンをばらまけば、人はクーポンをどんどん使う。少しテクニカルに言うと、

「クーポン券をばらまくことで、クーポン券の価値を減じ(インフレ期待を起こし)、クーポン需要を減らし、ベビーシットを増やす」

実はこの点は先のラムゼーモデルの帰結と一致する。すなわち、

クーポン券から将来得られる価値(将来のベビーシットから得られる価値の裏づけがあってのことだが)が今日のベビーシットの価値との比較により測られる。これがこのクーポンの実質利子率であり、それを低下(または名目利子率を上昇)させることができれば、今日のベビーシットを増やせ、地域の景気を良くすることができる。

そのキーこそが、インフレ期待だというのである。

リフレ派は、このクルーグマンの一連の議論を自ら解釈し、クルーグマンも期待インフレを起こすことをクーポン、貨幣量の増大により可能だとした

「クーポン券をばらまき、インフレ期待が起こって、景気はよくなる」という教義がここに誕生した。

リフレ派も90年代バブル崩壊後、岩田規久男をはじめ、90年代後半は田中秀臣、2000年代後半リーマンショック後は飯田・上念など不況のたびに竹の子のように出没した。

リフレ派は「我こそは正しい経済学」だという。リフレ派の教義のどこに問題があるのか。

貨幣を増やせばインフレが起きるか
問題は、「どのようにインフレ期待を起こせるか」である。

リフレ派は日銀が貨幣(ベースマネー)を市中にばらまくことで起こすことができるという。そうすれば、人々は将来インフレになると考え、今日商品を買いあさり(オイルショック時のトイレットペーパ―事件のように)、物価が引きあがるというのである。こうなれば、商品の生産は増え、景気はよくなる。

貨幣にはベースマネーとマネーストックの2つがあるが、日銀が操作できるのがベースマネー、民間銀・民間非金融が操作できるのがマネーストックである。日銀はベースマネーを増やすことを通じてマネーストックに「間接的」に影響を与えることができる。この点は非常に重要で、かの1930年代の大恐慌時、米国のFRB(日銀に相当)はベースマネーを増やしたが、マネーストックは増えなかった。

実に明快であるが、この議論の問題点は、

「ベースマネーをばらまくことにより、期待インフレが高まる」

という前提である。この前提は実に疑わしい。

まず、基本のおさらいだ。我々の持っている貨幣(マネーストック)は現金と預金からなり(1)民間の銀行、(2)日本銀行で作られている。

日本銀行(日銀)が貨幣(ベースマネー)を増やすには、民間銀の預金(準備預金)に貨幣を積み増す。このとき、日銀は積み増す貨幣額価値に等しい債券を民間銀から購入する。これを「買いオペ」と呼んでいる。

ところが、近年は民間銀は法律が定める以上の預金を日銀に預けている。すなわち、買いオペをしても、日銀への準備預金国債の残高が増すだけなのである。

我々の手元には貨幣(マネーストック)が一向に届いていない。この貨幣による商品取引が商品価格を変化させる。貨幣が増えれば、勝間氏が言うように物価は上昇する。

民間銀は我々から預金を募って、貸付を生業にしている。その時、民間銀は我々の預金の一部を日銀へ預金する。この預金を民間銀が出し入れして、貸付・振替をやったり、国債・社債などを購入(これも貸付の一種だが)している。これを通じて、民間銀も貨幣(マネーストック)を増やす役割を担っている(信用創造という)。

しかし、民間銀は民間企業などへの貸出を増やしていない。貸出を増やせば、貨幣は我々の手元にいきわたるはずだが、そうなっていない。

民間銀にとって、貸出を増やすとそれに相当する預金を持っておく必要がある。この貸出こそ銀行の資産だが、この貸出の資産価値が下がる、すなわち貸出した債権が焦げ付くなどが起こると、銀行の負債である預金の引き出しに銀行が応じれなくなる。銀行は超過債務に陥ってしまうのである。これは銀行経営にとり非常に大きなリスクである。

このとき、預金保険や日銀などによる救済措置が待っているが、銀行経営者の責任が問われるなど生易しいものではない。日銀による貸出(日銀にとっては資産)もそれ相当額の負債(準備預金)の裏づけがあって行われる。

インフレ・GDPは増えていない
ポイントは、日銀はベースマネーを増やし続けているが、

(1)貨幣(マネーストック)が増えていない。
(2)期待インフレ(これは直接グラフでは見られない)物価は上がっていない
(3)生産量(名目GDP)も増えていない。

その分かりやすい証拠として、東大の岩本氏はこのことをグラフにして見せている。岩本氏が指摘するように、これが貨幣需要の非常に大きい「流動性の罠」の状態であるという。

このグラフから、貨幣をばらまくと物価が上がり景気が良くなるという教義は破綻している。

確かに経済学の教科書では正しいかもしれないが、貨幣に対する需要が非常に大きい「流動性の罠」に陥れば金融緩和(貨幣の増加)は効果がない。

リフレ派は、
(1)もっとベースマネーの量を増やすべき
(2)期限と制限を明確にし、アナウンスをして人々の期待に働きかけるべき
などと言おうが、いずれにせよここ10年間の経験は「マネーを増やしても物価・GDPは増えない」ことに変わりはない。

リフレ派の田中秀臣氏は、

「リフレ派をつぶしたいという政治的あるいは個人的な思惑が先行しているこの状況こそ、日本を20年停滞させている、根拠なき妄想だ。」

と断言しているが、果たしてそうなのだろうか。別の角度から物事を見る余裕がなくなって、勧善懲悪が先行する状況こそ、日本を停滞させている原因であり、結果ではなかろうか。

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