Monday, March 31, 2008

Friday Night Fever

A Brazilian Carnival came to us last Friday. Taro really enjoyed such night fever:



A step in this dance looks like somewhat Awaodori, a famous Japanese dance in Tokushima. Not shaking the hip, just only tapping. It's interesting.


It's a good memory for me.

Saturday, March 29, 2008

Milwaukee in March

Not chilliler than you see in these pictures. It's the Lake Michigan.




Friday, March 28, 2008

日銀総裁の条件(岩本氏の見解)

東大の岩本康志氏は日銀総裁候補について見解を述べている。

(1) インフレターゲット論は、…インフレを起こすことを目的としたものではなく,インフレを低位で安定させようとするものである。学界でも真剣に研究がされている議論であり,トンデモ経済学ではない。

(2) もっと重要なのは,日本銀行総裁には金融の専門的知識と経験が必要とされ,財政は強くても金融が弱い人はふさわしくない,ことだ。 



(1)のコメントは小生も賛成だ。ただ、(2)のコメントについて、確かに日銀総裁は金融の知識が必要だろうと思うが、高度な金融の知識は本当に必要だろうか?

テーラールール、最適インフレ率などの学術的知識はなくてもいいのでは、と小生考えるがいかがなものか?

また、日銀総裁には国際経験が必要だろうか?国際会合では、通訳を通して懇談するのが通例だと思うので、別に英語は日常会話程度でいいのでは、と思う。日銀総裁が、宮沢喜一氏並に英語が話せればいいかもしれないが、それが日銀の政策運営によい影響を与えようか?

宮沢先生は政治家で首相だったから、英語が話せるというのは、外交上日本の立場を国内外に表明するには明らかによかったと思う。だが、日銀総裁が外国と交渉をするわけでもない以上、別に国際経験が必要であるとは限らないのでは?

Tuesday, March 25, 2008

Mankiw On Current Recession

Prof. Mankiw reminds us of the difference between the Great Deflation of the 1930s and the current recession. Let me sum him up shortly.

He says that the two effects of falling prices on economy:

(1) Falling prices bring the economy to the equilibrium

(a) An increase in M/P

For any given supply of money M, a lower price level implies higher real money balances M/P. An increase in real money balances leads to higher income.

(b) The Pigou effect

Falling prices increase real money balances and consumers should feel wealthier and spend more. This increase in consumer spending should cause higher income.


(2) Falling prices don't bring the economy to the equilibrium

(a) Debt-deflation theory

The unanticipated changes in the price level redistribute wealth between debtors and creditors: unexpected deflation enriches creditors and impoverishes debtors.

This redistribution of wealth affects spending on goods and services. In response to the redistribution from debtors to creditors, debtors spend less and creditors spend more. It seems reasonable to assume that debtors have higher propensities to spend than creditors, and then debtors reduce their spending by more than creditors raise theirs. The net effect is a reduction in spending and lower national income.

(b) An decrease in expected inflation

People's expectation that the price level will fall in the future leads to a negative expected inflation, πe. The real interest rate is now higher at any given nominal interest rate.

Approximately expressed,

(Real interest rate) = (nominal interest rate) - (expected inflation)

This increase in the real interest rate depresses planned investment spending and national income because when firms come to expect deflation they become reluctant to borrow to buy investment goods because they believe they will have to repay these loans later in more valuable dollars.

The fall in income reduces the demand for money, and this reduces the nominal interest rate that equilibrates the money market. The nominal interest rate falls by less than the expected deflation, so the real interest rate rises.


Mankiw says that most economists believe that the mistakes that led to the Great Depression are unlikely to be repeated. Is that true?

I don't think so. Even though the Great Depression is unlikely to be repeated again, we cannot say that our economy is also unlikely to undergo a recession.

As Mankiw says, many economists believe that the Great Deflation was responsible for the depth and length of the Depression and the presence of a falling money supply. Right, but can the Fed always control money supply? That's the question. Remember that the Fed can control only base money(currency+deposit), but not money supply.

How the Fed should control or affect money supply is a basic question in monetary macroeconomics left at our hands.

The link:
Greg Mankiw's Blog: 2008 = 1929?

Saturday, March 22, 2008

Mishima On Japan

A famous novelist and a candidate of the Nobel Prize in literature, Yukio Mishima speaks about the spirit of Japan.

That's very interesting and much worth listening to.

I didn't know that Mishima spoke English so well. How and where did he learn speaking English?

三島対東大全共闘

こちらの人から「三島についてどう思う?」と聞かれて返答に困ったが、非常に興味深い質問だと思った。

三島と東大全共闘との対話。これは面白い。

よく考えると、若い人たちと同じ目線で真剣に話する三島由紀夫の姿や、東大生?たちの姿に、今と違った何かのどかで暖かい雰囲気を感じるのは小生だけだろうか?そして、何かうらやましく思うのは小生だけだろうか?

全共闘や三島さんとはあまりお近づき願わないが、こんなに親身に真剣に若者と話す巨人が、今の日本にいるだろうか?そして、今になってはお馬鹿で役に立たないことをこれだけ真剣に語れる若者はいるだろうか?

いつのころからか、我々日本人は真剣に語り合わなくなったように思う。

Friday, March 21, 2008

金融政策は経済に有効か?

3/22/08 若干修正。

以前このブログで金融政策の効果について書いた。この点基本に立ち返り、もう一度まとめたい。

金融政策が経済に与える影響は目に見えない。それゆえ、金融政策は経済学の中でも、特に金融論、マクロ経済学において非常に興味深いテーマのひとつになっている。

実は、金融政策が経済にどのような影響を与えるのかについて経済学者の間で意見が割れている。
今回は不況期における金融政策の効果について相反する2つの見解を見たい。一人は、阪大の小野善康氏。もう一人は学習院大の岩田規久男氏。(あくまで小生の両氏の見解についての解釈である。)


(1)金融政策は経済に短期的にしか影響しない

小野氏は、金融政策は景気、つまり消費や投資といった経済の需要面に短期的に影響を与えようが、長期的には経済に何ら影響をもたらさないという。

景気の悪いとき、金融緩和(経済にお金をばら撒くこと)を景気対策として実施することにより、手持ちのお金の価値が増え、人々は金持ちになったように思い、短期的には消費を増やす。(このような効果をイギリスの経済学者の名をとり、ピグー効果とか資産効果と呼んでいる。)

しかし、金融緩和により、やがて物価が上昇し、手持ちのお金の価値は目減りする。結局お金の価値は金融緩和する前に戻ってしまう。このときもはや消費は増えなくなる。つまり、金融政策はお金の価値を膨らませただけのバブルを作り出したに過ぎないのである。

したがって、小野氏の結論は、不況から脱出するには、拡張的な金融政策でなく、政府による積極的な財政政策による所得/雇用の拡張が必要である。


(2)金融政策は経済に大きな影響を与える

反対に、岩田氏は景気の悪いときに金融緩和を実施すると、実質金利が低下して、消費や投資を刺激し、所得や雇用を増やすという。(これをケインズ効果と呼んでいる。)

岩田氏は、この雇用の増加が、失業者に職を与え、職務を遂行する上で必要な知識・技能を与えることに繋がり、人的な資本の形成、つまりキャリアアップに寄与するという。人的資本の形成は、長期的に見て、経済の供給面、すなわち効率的な生産活動に貢献する。

よって、金融政策は雇用を刺激する点で、短期的にのみならず、長期的にも経済に影響するという。

岩田氏の結論は、不況期は議会の調整を伴う実施に時間のかかる積極的な財政政策ではなく、比較的決定と実施に時間のかからない拡張的な金融政策が必要である。


さて、両者の意見の違いは何か?小野氏によれば、岩田氏の見解は間違っているという。しかし、一見すると、両氏の見解はすごく似ている。

両氏の見解の相違は、「金融政策が実質金利に影響するか」という点にある。岩田氏は金融政策は実質金利に影響するといい、小野氏は影響しないという。

実質金利とは、近似的に

(実質金利)=(名目金利)ー(期待インフレ率)…(1)

と表される。名目金利は我々の預金や負債につく金利のことである。期待インフレ率とは、人々が将来の物価について期待するインフレ率のことである。厳密には、今期の情報に基づいて決定される条件付の期待インフレ率である。


小野氏は、そもそも実質金利はリアルサイド(実物面)から決まり、金融緩和などのマネタリーな要因では決まらないという。確かに、名目金利とは、預金や負債という金融商品につく「名目価格」であり、それは基本的に金融商品の需給によって決まる。つまり、金融的な要因で決まるのだ。

一方、実質金利は今日の支出と明日の支出との間の「相対価格」であるといわれる。例えば、アンパンを今日食べるか明日食べるかを考える。今日1単位のアンパンを食べると1の効用が得られ、明日食べるとなると、今日食べれなかった分効用が減じる。たとえば、0.8の効用が得られる。このとき実質金利は、

{(今日の限界効用)-(明日の限界効用)}/(明日の限界効用)

                    =実質金利…(2)

となることから、(1-0.8)/0.8=0.25となる。

つまり、実質金利とは、(2)式からどれだけ限界効用が下がるかという「限界効用の減少率」といえる。

この値が高ければ高いほど、消費者は今日アンパンを食べたいと思い、明日食べるアンパンの(相対的な)価値が上昇する。このことから、今日の資源を明日に持ち越したほうが消費者の効用が高まり、低ければ今日の資源は今日消費した方がよい。(これを、「消費の異時点間代替」という。)なお、(2)式の導出にはミクロ経済学の知識が必要。

(※もし上記の理屈がわかりにくければ、預金につく金利を思い浮かべよう。金利が上昇すると、預金を増やしたい、つまり今日の資源を明日に持ち越したいと思うだろう。同じ理屈である。)

つまり、今日食べるか明日食べるかの選択は実質金利に関わり、実質金利は(2)式から金融的な要因でなく、消費者の効用、つまり実物的な要因で決まる。この点小野氏の見解はまったく当然だ。

翻って、岩田氏は(1)式にあるとおり、金融緩和が、人々に将来のインフレ期待を抱かせ、期待インフレ率が上昇。そのことにより、名目金利との差である実質金利が低下するので、実質金利も金融的な要因で決まる。これも、(1)式から当然である。よって、実質金利が下がるので、人々は明日消費するのでなく、今日より多く消費しようとし、結果的に景気は上向く。

さて、どちらが正しいのか?実質金利は金融的な要因で決まるのか否か?

おそらく、両氏の見解の相違の根元には、「名目金利」にあるのではないかと考えている。

新古典派の経済学(小野氏)では、期待インフレ率が上昇すれば、それに見合って、預金金利や貸出金利も上昇する、または、預金/貸出金利は将来の期待インフレ率をすでに織り込んでいる、と考える。特に後者については、「完全予見」といわれているが、人々が合理的ならば、将来の期待を金利や価格に正確に反映させる。このとき、金融要因によって、期待インフレ率と名目金利が同時に変化し、実質金利は変化しない。

それに対しては、岩田氏は「完全予見」よりも、人々はその時々の金融情勢を正確に読めるほど賢くなく、将来の期待はその時々の情勢によって修正されつつ、金利/価格に反映される。これを「適応的期待」と呼ぶが、その理由により期待インフレ率と名目金利が同時に変化せず、実質金利が金融要因によって変化する。

さてどちらが正しいのか?現実的な観点から、岩田氏に軍配が上がりそうであるが、期待インフレ率と名目金利が平均的にほぼ同時変化するのなら、小野氏にこそ軍配がある。

結局、この点(1)式の、名目/実質金利の見方にこそ「金融政策が経済に影響するのか否か」という論点があるといえる。

参考文献:
(1)「実質金利の低下は個人消費を刺激するのか?-実証分析を中心に-」。
(2)小野善康『金融』岩波書店、および2004年の阪大でのレクチャーノート
(3)岩田規久男『金融 第2版』岩波書店

なお、ここで紹介した両氏の見解は、小生の解釈であり、ここでの間違いは小生だけに属す。

Thursday, March 20, 2008

中央銀行は目覚まし時計(速水優)

一橋大学創立125周年記念講演会における速水優元日本銀行総裁講演「私の中央銀行論」からの一節。

『…どうしても、目先の景気を良くしたいという誘惑が生じやすくなります。中央銀行という制度は、人々がこうした目先の誘惑を自制するために作った、自己統治のメカニズムといっても良いかもしれません。

...中央銀行の役回りは、目覚し時計に喩えられることがあります。朝起きるのはつらいし、目覚し時計はうるさいですが、そうしないと授業に遅れて単位が取れないかもしれない。だから、少し長い目で見た幸せを追求するために、夜には目覚し時計をセットするわけです。中央銀行は、うるさがられても、きちんと時間がくれば鳴って、皆さんを起こさなければなりません。目覚し時計が鳴るのが好きな人はいないでしょうが、目覚し時計が必要な物であることはみんなわかっています。』


今のような日銀総裁人事の事態を考える上で、もう一度基本に返ってじっくり日本銀行の役割について考えたい。

その意味で、速水氏の「私の中央銀行論」は広く推奨される文献だと思う。日本銀行は目覚まし時計であるというのは、的を得た喩えだと思う。

補論
速水氏の旧制東京商科(一橋大)での指導教官である木村元一氏は小生の母校、旧制和歌山高商(和歌山大)出身である。

日銀総裁人事について(2)

日銀総裁人事の雲行きは晴れやかでない。後任の総裁が決まらないという史上稀なる様相を呈している。

再度私見を述べてみたい。私の結論は、「物価の安定と金融システムの安定を追求できる人物が日銀総裁/副総裁にふさわしい」。

まず争点を整理したい。以下、3点。

(1)財務省出身者はダメ?

小生は、物価の安定と金融システムの安定をとことん追及できるなら、別に日銀総裁が財務省出身者でもいいと考えている。前回の所見は少し誤解を招いたかもしれないが、財務省出身者ではダメだとはいっていない。

ただ、総裁の「財務省出身」という経歴が、

財務省の財政政策

⇒国債の日銀引受けへの誘引

⇒日銀の独立性(日銀法改正の理念)への疑念

⇒日本の円への不信

という「シグナル」として内外の政策/市場関係者に受け取られる蓋然性(可能性)を否定できない、ということである。

小生が問題視するのは、総裁の経歴が与える「シグナル効果」であり、植草氏の言う「官僚利権構造」では必ずしもない。

(2) 高い見識が必要?

これは小生必ずしも必要ないと考えている。ただ、「高い見識」が物価安定ならびに金融システムの安定にコミットするという政策/市場関係者への「シグナル」になりうるのであれば、必要であるともいえよう。

(3)日銀の独立性とは?

色々議論があろうが、先の森永氏の見解にもあるとおり、日銀が何をやってもいいということが、「日銀の独立性」ではないと考えている。日銀の政策決定において、政府の圧力から独立していることがそれではなかったか。

昭和恐慌の折、かつての軍部が高橋是清総裁に軍事費調達のために国債引受を迫ったように、たとえば大きな減税のために日銀総裁に圧力がかかるようなことがあってはならないということである。(かつてゼロ金利政策の折、速水優元日銀総裁が「(政府から)石が飛んできた」と公にもらしたのは記憶に新しいが、石が飛んでこようが、ミサイルが飛んでこようが日銀の政策に支障がないようにしなければならない。)

物価の安定、金融システムの安定のためにその時々の市場の動向を睨みながら臨機応変かつ機敏に対応し、常に政府との連絡を密にしながら、「日銀独自に」政策を決定、遂行そして内外に政策決定、経済情勢についてアナウンスすることが理想であり、そうしなければならないのではと考えている。

総裁の仕事は、そのための強力なリーダーであって、決して独裁者的になんでも勝手に自由に決めることが理想ではないだろう。(何のために専門の政策審議委員がいるのか?)

Wednesday, March 19, 2008

Krugman on Monetary Policy

An op-ed columnist of the New York Times, Paul Krugman, tells about the recent monetary policy conducted by the Fed.

First, he talks about the fundamental theory of monetary policy:

The Fed’s economic power rests on the fact that it’s the only institution with the right to add to the “monetary base”: pieces of green paper bearing portraits of dead presidents, plus deposits that private banks hold at the Fed and can convert into green paper at will.

When the Fed is worried about the state of the economy, it basically responds by printing more of that green paper, and using it to buy bonds from banks. The banks then use the green paper to make more loans, which causes businesses and households to spend more, and the economy expands.
This process can be almost magical in its effects: a committee in Washington gives some technical instructions to a trading desk in New York, and just like that, the economy creates millions of jobs.


But sometimes the magic doesn’t work. And this is one of those times.


And then, Krugman talks about the recent situation of economy:

....But the Fed is trying to contain the damage from the collapse of the housing bubble, keeping it from causing a deep recession or wrecking financial markets that had nothing to do with housing.

So Mr. Bernanke and his colleagues have been doing the usual thing: printing up green paper and using it to buy bonds. Unfortunately, the policy isn’t having much effect on the things that matter. Interest rates on government bonds are down — but financial chaos has made banks unwilling to take risks, and it’s getting harder, not easier, for businesses to borrow money.

As a result, the Fed’s attempt to avert a recession has almost certainly failed. And each new piece of economic data — like the news that retail sales fell last month — adds to fears that the recession will be both deep and long.


Reading the above article, we can recall another similar story. So, it's about Japan: Japan also had a long and deep recession and the monetary policymaker didn't pull Japan from such terrible anxiety.

Now is the time we should get a good lesson from Japan!

Tuesday, March 18, 2008

コブクロにみる「日本の心」

日銀総裁人事問題から少しはなれたい。

米国で聞くと、やはりこれは「日本の心」と感じる。すっかり魅了されている。日本の心はいまだ健在ではないのか?

とくに、桜

『桜の花が散るたびに、届かぬ思いがまたひとつ...

実のならない花も、蕾のまま散る花も...

追いかけるだけの悲しみは、強く清らかな悲しみは

いつまでもかわることのない...君の中に咲く桜。


...人は、皆心の岸辺に手放したくない花がある

それはたくましい花じゃなく、はかなく揺れる一輪花

花びらの数と同じだけ、生きていく強さを感じる

嵐吹く風に打たれても、止まない雨はないはずと...』


心の岸辺に咲く一輪花、それはどんな花だろうか?

美しい日本、健在です!

日銀総裁のパフォーマンス(原田氏の見解)

原田泰氏(大和総研チーフエコノミスト)の見解。

『特殊事情はその都度考えることとして、あっさりと、(日銀総裁の)前任者に比べて、成長率が高まり、インフレ率が安定(マイナスになるデフレは安定と考えないことにする)すれば、パフォーマンスが良かった考えることにしよう。』


『以上の観察から考えて、経済パフォーマンスが悪くなかったといえる総裁は、M総裁が1人、B総裁が2人であり、良くなかったといえる総裁は、M総裁が2人、B総裁が3人である。また、福井B総裁の評価は、前任の速水B総裁に比べてのものである。結論は、日銀総裁として成果を上げるかどうかは、その出身の如何(いかん)にはよらないということになる』

なるほど。これは面白い。『結論は、日銀総裁として成果を上げるかどうかは、その出身の如何(いかん)にはよらないということになる』 具体的な検証が必要だろうが、ひとつの重要な結論だ。

日銀の病気?!(森永氏の見解)

日銀総裁人事について、経済アナリストの森永卓郎氏の見解。

『...衆参両院で武藤、伊藤両氏が不同意とされた。...では、民主党はなぜ両氏に不同意だったのか。

その根底には、財政と金融の分離が必要だという主張がある。...日銀総裁というのは、一般の人が考えている以上に、非常に重要なポストである。しかも、ここに来て総裁選びの重要度はさらに増している。その理由は二つある。

一つは、福田内閣のもとで、小泉内閣以来の財政再建路線をとっている点だ。緊縮財政のもとでは、減税や公共事業を景気政策としてとることが不可能に近い。となると、景気対策は金融政策によってコントロールするしかない。

いきおい、金融政策をつかさどる日銀総裁の存在感が増すわけだ。

もう一つの理由は、日銀総裁をいったん選んでしまうと、任期の5年間はそのクビを誰も代えることができないという点だ。1998年に施行された新日銀法によって、大蔵大臣(現財務大臣)の罷免権がなくなってしまった。そのため、どんな失敗をしても、どんな犯罪的な行為をしても誰も止められない。ある意味で、日本最大の権力者となったのである。

...そうした重要ポストだからこそ、時間をかけて公正中立な人を選ばなくてはならない。その面から言えば、たいした議論もなしに政府・与党からいきなり人事を示されたことで、民主党が拒否の態度を示したのも当然といえば当然である。

だが、その一方で、民主党の議論にも大きな間違いがあるとわたしは思う。

民主党の主張は、冒頭で述べたように財政と金融の分離である。なるほど、たしかにそういう議論はある。その根拠というのは、財政担当者に金融政策を任せると、過度に金融を緩和してインフレになる心配があるためだ。なぜなら、財政当局にとってはインフレにしたほうが、税収が増えて財政収支が改善する。そのために、財政担当者に金融を任せると、どうしても金融緩和の方向に政策のかじ取りをしがちなのだ。

だが、そこにはもう一つの議論がすっぽり抜け落ちている。

中央銀行の担当者をトップにした場合、これはちょうど逆の現象が起きてしまうということだ。中央銀行の担当者というものは、自分たちが扱う自国紙幣の価値が下がるのを嫌がり、適切なレベル以上に金融を引き締める傾向にある。

これは日銀に限らず、世界の中央銀行に共通する傾向で、「中央銀行の病気」と呼ばれている。しかも、日銀は「中央銀行の病気」の重症患者である。だからこそ、戦後、どの先進国も経験したことのないデフレに長期間陥っているわけだ。

日銀のトップを選ぶからといって、生え抜きの日銀出身者にすればいいというわけではない。財務省を排除して中央銀行の担当者に任せればいいというわけではないのである。』



これは驚いた。森永氏は本当に経済アナリストか?

『中央銀行の担当者は、自分たちが扱う自国紙幣の価値が下がるのを嫌がり、適切なレベル以上に金融を引き締める傾向にある。これは日銀に限らず、世界の中央銀行に共通する傾向で、「中央銀行の病気」と呼ばれている。しかも、日銀は「中央銀行の病気」の重症患者である。』

なぜ日銀がインフレを嫌い金融を引き締めるのか?ずばり、物価の安定と金融システムの安定こそが、日銀の目的だからである。この目的遂行のために、日銀は金融を引き締める。

また、適切なレベルとは「どんなレベル」であるのか? この点について、米国の経済学者ジョージ・アカロフらによれば、0%以上のインフレは経済を潤す潤滑油として、労働市場に対して機能するという論文を発表している。

森永氏はこのことを指しているのか?しかしながら、物価安定のための政策を「中央銀行の病気」と呼ぶとは知らなかったし、誰がこのようなことを言っているのか知りたい。

森永氏の往年の主張は、「日銀の金融引き締めにより戦後どの先進国も経験したことのないデフレに長期間陥っている」という点である。この点については検証は避けたいが(ブログで語れるほどやさしい問題でない!)、日銀が金融引き締めを実際にしているか、またはこだわっているのか、これらは未検証の問題だ。



『日銀総裁に求められるのは、財務省にも日銀にも偏らない、公正中立な政策判断ができる人物である。つまり、金融政策の決定においては財務省を排除すべきではなく、日銀が完全な独立性を持つべきではないのだ。

なにかというと、日銀には「独立性」という言葉がつきものであるが、これについては誤解があるようだ。これは、けっして「日銀は政府から独立して何をやっても構わない」という意味ではない。政治からの過度の介入は困るが、だからといって好き勝手な金融政策をとって、デフレに陥らせてもいいということではまったくないのである。

日本銀行法4条には、日銀の行なう金融政策として、次のように記されている。「政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」このように、法律的にも政府・財務省との協調が定められている。

そして、政府と中央銀行との協調体制は世界の常識でもあるのだ。インフレターゲットを導入しているニュージーランドやカナダでは、インフレ目標を財務省と中央銀行の協議で決定している。(ちなみに、インフレターゲットというのは、物価上昇率の目標をたとえば2%と定め、実際の物価上昇率がその水準になるようにする政策である。健全な経済活動を目的としたものであり、けっして過度なインフレを助長する政策ではない)

こうした目標を、中央銀行と財務省のパワーバランスによって決めるというのは、きわめていいしくみではないだろうか。中央銀行は景気を引き締めようとし、財務省は景気を緩和しようとする。そのせめぎ合いのなかで妥当な線を出そうというわけだ。

...こう見ていけば、中央銀行の独立性というのは、何をやってもよいという独立性ではないことがおわかりだろう。国民共通の「物価安定」という定められた目標が厳然として与えられており、あくまでもそれをいかに実現するか、という政策手段においてのみ独立性があるわけだ。
中央銀行が好き勝手にやった結果、国の経済をデフレに陥らせてしまったなどというのは、まさに犯罪的な行為といっても過言ではない。

安定した物価目標が、具体的に何%と示されれば、国民にとってのメリットは大きい。将来にわたっての物価上昇率の見当がつくのだから、家を買うにしても設備投資をするにしても計画が立てやすい。たとえば、物価が年3%上がりそうで、金利が年3%ならば実質ゼロで借りられると見当がつくわけだ。こうなれば、消費者も投資家も正確に判断できる。

...今回、副総裁として衆参両院で同意された白川氏を含めて、「目標を示せば、金融政策の自由度がしばられる」と述べているのだ。

これはとんでもない話である。日銀にとって最大の仕事は、物価をどう安定させて、経済を活発化させるかではないのか。

物価安定目標をきちんと公開すれば、経済の円滑な成長につながる。結果がダメだったら、責任をとらせてクビにして、もっと適任の人を任命する。それが当然の社会のしくみというものではないのか。にもかかわらず、日銀は物価上昇の目標を明らかにしてこなかった。

「独立性」と金科玉条のように言うが、そんなことをいって目標を定めないから、むしろ政治の介入を受けてしまうのだ。物価上昇率の目標をきちんと示しておけば、その目標を達成している限り、介入を受ける筋合いはなくなるのである。』




一見筋があるようにも見えるが、特に『日銀にとって最大の仕事は、物価をどう安定させて、経済を活発化させるかではないのか。』という点には注意が必要。

日本銀行の目的は、物価の安定であって、経済の活性化ではないということである。景気の変動をならすことは日銀の仕事ではないし、日銀はそうすべきでない。なぜなら、日銀に常に景気拡大するようにという圧力がかかるからだ。誰がその圧力をかけるのか?それは政府であり、政府を動かす国会議員の先生方である。

国会議員の先生方は票がほしい。となると、度重なる国民からの景気拡大の要望をかなえるべく奔走しよう。どう要望すればよいのか?政府財務省はおろか日銀に金融緩和をするように迫ればいい。


財務省と日銀のパワーバランスで経済の均衡が決まるのかどうかわからないが、基本的には民間経済の均衡は民間の経済主体の経済活動が決めるものであって、政府・日銀の介入は極力避けるべきであるというのが、これまでの「合理的期待均衡」の研究から始まる30年間の動学マクロ経済学の研究から得られたひとつの教訓ではなかったか? シカゴ、ミネソタの中西部流のマクロ経済学とも呼ばれようが、これらの研究の教訓は看過すべきでない。

政府は常に民間から景気拡大の要望を受け、もし仮に実現しようものなら物価の不安定と過度な景気変動を招きかねない。景気安定は政府の仕事。物価安定は日銀の仕事。きっちり分割することが「日銀の独立性」の意味でなかったか?ある意味、「司法と行政の分離」とよく似ている。

このあたりの議論はもう少し必要かもしれない。

なぜ武藤氏ではダメか?(田原氏の見解)

この一週間は、小生今般の日銀総裁人事について、あらゆる角度から識者の論見を交えながら考察したい。やや政治経済論壇になってしまうが、小生こういうのが結構大好き。

今日は小生の大好きなジャーナリストの田原総一朗氏の日銀総裁人事についての見解。



『日本銀行の新総裁を巡って、与党と野党が対立している。

政府は、総裁に元財務事務次官の武藤敏郎副総裁、副総裁に伊藤隆敏・東大大学院教授と白川方明(まさあき)・京大大学院教授を充てる案を提出したが、野党が武藤総裁案に猛反発。結局12日の参院本会議で、白川さんを除く、武藤、伊藤案は否決された。

翌13日の与党が多数を占める衆議院本会議では3人が同意されたが、両院で同意のあったのは白川さんだけという結果になった。このため総裁が空白になった場合は白川さんが総裁の職務を代行することになる…

...第1の反対理由(武藤さんが財務省出身であること)については、確かに、日銀が財務省からも政治からも独立すべきだというのは当然だ。

しかし、だからといって、財務省出身者が日銀の総裁になったら独立が損なわれるのかというと、必ずしもそうでもない。現に、アメリカやヨーロッパでは財務省出身者が中央銀行の総裁になっている例が少なからずある。

今、政治家と官僚の癒着が問題になっている中、「政官分離」は当たり前のことである。もし、「財政と金融の分離のために財務省出身者の就任は反対」と言うのならば、「政官分離」の原則で、官僚から政治家になるのもおかしいということになる。

そうすると、官僚出身の伊吹文明さんもおかしければ、加藤紘一さんもおかしいことになる。官僚から政治家になった人はたくさんいるわけだが、彼らを皆おかしいと言わなければならない。

日銀が金融からも政策からも独立していなければならないというのは当然だ。しかし、だからといって、財務省出身者が総裁になればその独立が保たれないという理屈には必ずしもならない。』


この点に関しては、田原氏の金融政策に対する認識不足といわざるを得ないだろう。問題は、財務省出身ということが日銀の独立性を脅かす「シグナル」として十分に働きうるということである。

仮にこのシグナルが十分に国内外の政策立案者、マスコミ、市場関係者らに効果的であるなら、日本の国債、通貨ならびに金融資産に対して過大な不振が向けられ、ひいては金融不安を導くかもしれない。

先の植草氏の見解のとおり、法によって総裁人事が日銀の独立性を十分に担保しうる形で決められるのであるならよいが、現状は必ずしもそうでない。

しかしながら、田原氏は経済に弱いとしても、以下の見解は傾聴に値する。




『これまでも衆議院のやり方が気に入らずに、参議院で野党が1週間くらい“寝る”ことはあった。いってみれば“駄々をこねる”状態だ。そういう場合、今までであれば自民党が色々と野党に配慮して、“起こして”あげていた。野党が自民党に色々とあやされたり、すかされたり、脅かされたりして、やむなく起きるということが多かった。

ところが今、参議院は野党が多数になった。そうなると、自民党に起こす力がない。野党は野党で、これまでずっと自民党に起こしてもらうことが続いていたので自分で起きられないのではないか。両方とも、手のつけようがなくて困っているという状態なのだと思う。

民主党代表の小沢一郎さんははっきりと、「衆議院でこれほど乱暴な採決をしておいて、そして武藤氏就任を認めろというのはないだろう」と言っている。ということは、もし自民党が衆議院で乱暴な採決をしなければ、民主党は武藤さんの日銀総裁を認めたのか、と言いたくなる。

僕は、武藤さんの日銀総裁就任に反対することで、実は民主党がやっと一致できているのではないかと見ている。

民主党内は足並みが揃っておらず、意見も相当食い違っているが、「武藤さんに反対でいこう。ほかには色々とあるが、これだけは反対していこう」ということだけやっと一致しているのではないか。

外から見ていると、日銀総裁や武藤さんを巡って、自民党と民主党が党利党略の材料としているようにしか見えない。

...自民党政府の政策に民主党は真っ向から反対している。真っ向から反対するのであれば、民主党は野党第一党であり、新しい政権政党を目指しているのだから、当然もっと早くから政策の対案を出すべきだった。

...民主党のある幹部に、「もう形ができているのに、どうして民主党は対案を出さないのだ」と聞いた。するとその幹部は、「実は我々は政策で審議したいと考えているのだが、民主党の中に絶対に政策の審議はしたくない人がいる。政策ではなく、政局にしたいという人がいて、この人が非常に強硬なので、対案を出すわけにはいかないのだ」と言っていた。

...このような民主党の苦しい姿勢や内部の混乱が、今回の武藤氏の日銀新総裁就任反対に表れている。どこからみても色々な矛盾がありながらも強く反対と言い続けている。これは民主党の苦しさを表しているのではないかと僕は思う。

小沢さんは、民主党における統率力、リーダーシップを相当失っている。武藤さんの新総裁就任に反対せざるをえない、反対することでやっと民主党の中で一致団結できると考えた。これが、今の小沢・民主党の苦しさだ。』


今の総裁人事の背景には、民主小沢一郎の相変わらずの「駄々こね」、小沢民主党の求心力低下並びに自民党と民主党が党利党略があるということか?

もしそうなら、日本銀行の総裁選びには過度に政局、政情に依存する格好を国内外に示しているとも見て取れる。そして、もしそう見て取れるのなら、「日銀の独立性」はどこにあるのか、と改めて問いたくなる。

日銀の独立性が担保されていない、というこの一点について、今般の日銀総裁人事はもしかすると意外に大きな問題かもしれない。

しかしながら、これらはあくまで田原氏のシナリオに過ぎないが、筋は通っているようにみえる。

Monday, March 17, 2008

日銀総裁に経済学は必要か?(太郎の見解)

政策研究大学院大の安田先生のブログに面白い記事。日本におけるマクロ経済学の大家である林文夫先生の「日銀総裁・副総裁」に関するコメントを紹介。

さて、日銀総裁について私見を述べてみたい。両氏の日銀総裁に関する見解にはどのような人物が日銀総裁に適当なのかというレフェレンスポイント(参照値)がはっきりしない。ここでは、どのような人物が日銀総裁/副総裁にふさわしいのかを考えたい。

結論から言うと、「日本銀行の目的関数を最大化する人物が日銀総裁/副総裁にふさわしい」。ではその「目的関数」は何か?

まず、林先生の言う

(1)日銀を,財務省の天下り先にすべきではない

という見解から考えたい。この見解は、日本銀行の目的関数、つまり日本銀行の目的から考えて理に適っているだろう。それは大きく分けて2つ。物価の安定と金融システムの安定。(期末試験に出るかも?)

過去小生3回ほど日銀マンと話したことがある。彼らが口を開くと必ずこの2つをあげる(一種の営業文句か?)。

つまり、「物価の安定」を図ることにより、「国民経済の健全な発展」に資するとともに、決済システムの円滑かつ安定的な運行の確保を通じて、「金融システムの安定」に寄与することにより、この2つの目的の達成に努める人物が、総裁にふさわしいと言える。

その観点から言うと、日銀が財務省の天下り組織として機能することは適当でないことが考えられる。

つまり理屈はこうだ。たとえば、財務省が大きな減税を敢行したい。しかしその財源がない。どうするか?日銀にその債務を引き受けてもらうことである。いわゆる日銀の国債引受けである。 しかしながら、これは財政法第5条によって禁止されている。

中央銀行がいったん国債の引受けによって政府への資金供与を始めると、その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては通貨の増発に歯止めが掛らなくなり、悪性の物価の上昇(インフレーション)を引き起こすおそれがある。そうなると、日本の通貨や経済運営そのものに対する国内外からの信頼も失われてしまう。

仮に、日銀が財務省の天下り先にでもなれば、昔の職場の恩や義理で財務省の財政政策(減税等)に対して何らかの支援や援助を惜しまないというメッセージとして、国内外の投資家や政策関係者にもたれよう。そうなると、最終的に「日本の通貨や経済運営そのものに対する国内外からの信頼も失われてしまう」ことになりかねない。

だからこそ、「日銀を,財務省の天下り先にすべきではない」といえる。至極まっとうな意見。これは日銀の政府からの独立性、日銀法改正の理念にもっとも適う。

しかしながら、安田、林両先生が強調するように、

(2)(植田和男東大教授が)現FRB議長であるバーナンキのMIT大学院時代のひとつ後輩にあたり、審議委員時代から何度も金融政策について意見を交換していたことから、そのコネクションが生かされるかもしれない

または、

(3)(黒田東彦アジア開銀総裁が)オックスフォード大学経済学修士であり,大蔵省の役人にはきわめて珍しく,おおむね筋道が立った議論ができる(しかも英語で)

という2点については、そもそも総裁候補は英語で議論ができ、外国大学の修士、博士号を取得済みで、諸外国の中央銀行総裁とコネがあることが適当であろうか?

日銀の上記2項目(物価の安定と金融システムの安定)の目的を達成する人物であるなら、(あえて極論を言えば)私が日銀総裁になっても、誰がなってもいいのである。(日銀総裁かぁ~)

別に、国際会議で相手にされなくてもよいのである。(国際会議で相手にされることが、日銀の目的遂行にプラスなら話は別だが)

もちろん最低限の知識、日銀が何をするところなのかぐらいは知っていないとまずいだろうが、英語が使えて、経済学の知識が豊富であることが中央銀行総裁にふさわしいという理論は小生どこにも見当たらないし、またバーナンキ議長とのコネが日銀の目的の遂行と達成にとって効果的であるかどうかも疑わしい。

要は、中央銀行の目的遂行(物価安定と金融システム安定)に強力にコミットできる人物であればよいし、総裁候補はその観点で考えるのが筋である。

過去の経歴や学歴は大きな要素になりえないのでないか?もちろん、過去の経歴が日銀の目的遂行にコミットできうるという「シグナル」になっていれば別だ。なお、中央銀行総裁の学識について、東大の岩本先生は面白い見解を述べている

また小生は金融政策の決定について、政策委員のお一人である須田美矢子氏に直接質問したことがある。(2005年大阪大学経済学部にて)

太郎:「金融政策を実行するに当たり、海外経済、または海外中央銀行の動向はみるのか?」

須田氏:「見ない。」

非常に明確である。90年代初めに流行った国際的なポリシーゲームのモデルに見られるように、海外中央銀行の動向をにらみながらの政策決定はしていない、というのが須田氏の見解である。国内の経済動向しか見ないのが現状であるし、それがすごく当然である気もする。

なぜなら、物価の安定も、金融システムの安定も、コストプッシュインフレやサブプライムローン問題に見られるように海外のショックが国内経済を揺らす原因ともなろうが、基本的には国内的な目的である。だから、政策も国内的になる。至極当然である。

また、ある日銀マンも言ったことであるが、日本銀行の業務は「非常に国内的」であるようだ。(小生その内情は知らないが、過去2回日銀を受験している。)英語が使える、海外の大学卒が、総合職では特に求められるわけでもない。日銀は、たとえその業務が国際的な影響を持ったとしても、しごく国内的な組織なのである。

小生の結論は、「日銀総裁は物価の安定と金融システム安定に強力にコミットできる人物がふさわしい」。黒田氏や植田氏がその点において適当な人物かどうか?その点を考えるべきである。

最後に、日本銀行のホームページはとても参考になります。

Sunday, March 16, 2008

武藤氏はダメだ!(植草氏の見解)

スリーネーションズリサーチ株式会社の植草一秀氏による、日銀総裁人事についての補論(2008年3月7日)。

『政府は3月19日に任期満了となる日銀総裁、副総裁の後任候補者を国会に提示した。総裁候補には武藤敏郎現日銀副総裁、副総裁候補に白川方明京大教授、伊藤隆敏東大教授が示された。  

今回の人事での焦点は財務省事務次官経験者である武藤敏郎氏の総裁昇格が国会で同意されるかどうかである。政府、財務省はあらゆる手段を用いて武藤氏の総裁昇格実現に向けて行動している。また、大多数のマスメディアが財務省の世論誘導活動に協力している。

 …中長期の視点から武藤氏の総裁昇格に不同意するべきである。

第一は日本銀行の財政当局からの独立性を重視すべきことだ。日本は第2次大戦に際して巨額の戦費を日銀による国債引受けで調達し、戦後に悲惨なインフレを招来した。政府債務は帳消しとなり、預金者は甚大な損失を蒙った。  

戦後の主要国では中央銀行の財政当局からの独立性が最重要視された。しかし、日本では日本銀行を政府の支配下に位置付ける旧日本銀行法が残存し、1998年に改正法が施行されたものの、独立性の規定には強い曖昧さが残されている。

日本政府の債務残高は主要国と比較しても突出して巨額であり、財政当局にインフレ誘発による政府の実質債務残高解消の強い誘因が存在している蓋然性が極めて高い。  

ドイツ、米国、欧州中央銀行などで財政部門幹部を経験した人材が中央銀行総裁に就任している例が存在しているが、日本とは事情がまったく異なる点に留意しなければならない。これらの国では法律、慣例、政策決定メカニズム等のなかで中央銀行の独立性が完全に確保されている。そのため、財政部門の幹部を経験した者が中央銀行総裁に就任しても中央銀行の独立性が脅かされるリスクが存在しない。

しかし、日本の場合には政策決定の最高機関である日本銀行政策委員会の委員選任方法を含めて、日本銀行の独立性を完全に担保する制度および慣行が確立されていない。今回、副総裁候補たされた伊藤隆敏氏も財務省との距離が近いことに留意が必要である。伊藤氏が提唱するインフレ・ターゲティング政策はインフレ誘導策に転化するリスクをはらむものであり、中長期的な通貨価値維持が脅威にさらされるリスクは大幅に高まると判断せざるを得ない。

また、日本では財務省出身者が財務省を離れても「財務一家」、「大蔵一家」の一員として財務省と連携して行動していることは周知の事実である。財務省出身の日銀総裁は財務省と連携して政策運営にあたる蓋然性が極めて高い。

中長期の視点で通貨価値の維持を図る視点から、財務省出身者を日銀総裁候補者から排除することが、日本の通貨価値維持を担保するセーフティーネットと考えるべきである。』


まったくそのとおりだ!!

ただ、「伊藤氏が提唱するインフレ・ターゲティング政策はインフレ誘導策に転化するリスクをはらむものであり、中長期的な通貨価値維持が脅威にさらされるリスクは大幅に高まると判断せざるを得ない。」という点には注意が必要である。

インフレターゲティング政策とは、そもそもインフレ誘導策に転化しないための防衛策的な手段としてニュージーランドなどで採用されてきた政策であり、インフレ抑止に貢献している実績があることが知られている。

その政策実施の争点は、インフレターゲティング政策がデフレ阻止に使われたことが一度もないことだったのではなかろうか?これがまさに90年代後半の日本の金融不況をどう克服するのかという経済論壇をにぎわせたテーマではなかったか?

問題は、総裁候補や政策委員がインフレターゲティング政策を支持するかしないかではなく、物価の安定と金融システムの安定をとことん追求できるか否かだ。

しかしながら、植草氏の上記の見解には賛同する。

Friday, March 07, 2008

Extremes Meets

In economic theory, there's a problem called "Hotelling's law". Hotelling is a famous mathematician's name.

What is the "Hotelling's law"? Here's one example:

Suppose that there are two competing shops located along the length of a street running north and south. Each shop owner wants to locate his shop such that he maximises his own market share by drawing the largest number of customers. (In this example, the shop itself is the 'product' considered.)

Customers are spread equally along the street. Suppose, finally, that each customer will always choose the nearest shop.

For a single shop, the optimal location is precisely halfway along the length of the street. The shop owner is indifferent about the location of the shop since it will draw all customers to it, by default. From the point of view of a social welfare function that tries to minimize the sum of square distances that people need to walk, the optimal point is halfway along the length of the street.

Hotelling's law predicts that a street with two shops will also find both shops right next to each other at the same halfway point. Each shop will serve half the market; one will draw customers from the north, the other all customers from the south.


A careful reader should notice that the point where the two shops get together is the Nash equilibrium. This is not just only the problem of shop location. We can see similar problems in our life. What is it, for example? That's your question.

Wednesday, March 05, 2008

What Causes Bubble? Shiller's View

Greg Mankiw's Blog: Shiller on Bubbles

I met Prof. Robert Shiller in Japan four years ago. Today's topic is posted by him and about the recent housing bubble in the US. That's interesting.

Let me summarize this story:

Suppose houses are really of low investment value.

Taro, the first person to make a decision, reaches the wrong conclusion and pays a high price for a home, thus signaling to others that houses are a good investment.

John, the second person, has no problem if his own data seem to confirm the information provided by Taro’s willingness to pay a high price. But John faces a quandary if his own information seems to contradict Taro’s judgment. In that case, John would conclude that he has no worthwhile information, and so he must make an arbitrary decision — say, by flipping a coin to decide whether to buy a house.

The result is that even if houses are of low investment value, we may now have two people who make purchasing decisions that reveal their conclusion that houses are a good investment.
As others make purchases at rising prices, more and more people will conclude that these buyers’ information about the market outweighs their own.
This is what is called "information cascades".


The probability of the cascade leading to an incorrect assumption is 37 percent. In other words, more than one-third of the time, rational individuals, each given information that is 60 percent accurate, will reach the wrong collective conclusion.

Thus, we should expect to see cascades driving our thinking from time to time, even when everyone is absolutely rational and calculating.

Furthermore, these people are being influenced by agencies which are conducting a public-relations campaign intended to show that putting money into housing is a reliable way to build wealth. Under these circumstances, it’s easy to understand how even experts could come to believe that housing is a spectacular investment.

It is clear that just such an information cascade helped to create the housing bubble. And it is now possible that a downward cascade will develop — in which rational individuals become excessively pessimistic as they see others bidding down home prices to abnormally low levels.

As you know, Japan had a big asset bubble in the late 1980s. Now China also has been reported to be having the same experience of the real estate bubble as the Japan of the 1980s. A bubble is not an old story to us, but is worth reminding always. Anyway, this is not others' matter.

The interesting point of this theory is that it shows that even rational people are likely to make a mistake in judging the value of investment because the information they rely is incomplete.

The point I care is what policy is likely to avoid the birth and the burst of the bubble from the viewpoint of this theory.