日本銀行の「ゼロ金利解除」により、日本の金融政策は大きな転換点を迎えることになった。ゼロ金利解除で、銀行預金や住宅ローンなどの金利は上がるという。総体的に見て、金融政策は経済にいかなる影響をもたらすのか? 気になるところである。
かつて、アメリカの経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスは「金融政策は魔術的である」という名言を残した。この名言のとおり、確かに、金融政策が経済に与える影響は目に見えるものではなく、あまりはっきりとしない。
それゆえ、金融政策は経済学の中でも、特に金融論、マクロ経済学において専門的に批判検討される、非常に興味深いテーマでありうる。
金融政策が経済活動、景気ににどのような影響を与えるのかについて、経済学者の間で意見が割れている。金融政策は経済に限定的にしか影響しない、という学者もいれば、金融政策は経済に大きな影響を与える、という学者もいる。私の考えによれば、前者は大阪大学の小野善康氏である。後者の代表は、学習院大学の岩田規久男氏である。
金融政策が経済、特に景気に与える影響を考える上で、両氏の見解は注目に値する。私は岩田氏にお会いしたことはないが、小野氏とは1年間阪大でお世話になった、指導熱心で、経済理論に厳格な私の恩師である。
※小野氏は『景気と経済政策』、『景気と国際金融』、岩田氏は『金融 第2版』、『国際金融』という書籍を岩波書店(岩波新書)からそれぞれ著している。私は全部の本を一応読んでみたが、小野氏の本はどちらかというと難易度の高い理論の説明に徹底し、岩田氏はどちらかというと制度的な側面の解説に終始している。
小野氏は(私の知る限りでは)、金融政策は景気、つまり消費や投資といった経済の需要面に短期的に影響を与えるが、長期的には経済に何ら影響をもたらさないという。対照的に、岩田氏は、金融政策は経済に大きな影響を短期的に与え、その効果は長期的にも持続するという。
小野氏は、景気の悪いとき、金融緩和(経済にお金をばら撒くこと)を景気対策として実施することにより、手持ちのお金の価値が増え、短期的には消費や投資を刺激する。(このような効果をイギリスの経済学者の名をとり、ピグー効果と呼んでいる。)しかし、金融緩和により、物価が上昇し、手持ちのお金の価値は目減りする。結局お金の価値は金融緩和する前に戻ってしまう。このことにより、消費や投資は増えなくなる。つまり、金融政策はお金の価値を膨らませただけのバブルを作り出すに過ぎないのである。当然経済には影響を与えることがないという。金融政策は物価の安定のみを目指せばよいのである。
それに対して、岩田氏は景気の悪いときに金融緩和を実施すると、消費や投資を刺激し、所得や雇用を増やすという。(これをケインズ効果と一部呼んでいる。)ここまでは、小野氏の見解と変わらない。しかし、岩田氏は、雇用の増加は、失業者に職を与えることであり、職務を遂行する上で必要な知識・技能を与えることに繋がり、人的な資本の形成、つまりキャリアアップに寄与するという。人的資本の形成は、長期的に見て、経済の供給面、すなわち効率的な生産活動に貢献する。よって、金融政策は雇用を刺激する点で、短期的にのみならず、長期的にも経済に影響するという。金融政策は物価のみならず、景気の安定化をも達成せねばならないのである。
さて、どちらの意見に分があるだろうか? 小野氏か、岩田氏か? 不況期に、失業者に雇用を与え、人的資本の形成を促進することは、小野氏も幾度か強調している点である。そして、小野氏は、不況期には、日本銀行が行う金融政策ではなく、政府財務省が行う財政政策、特に公共事業により失業者に仕事を与えるべきであるという。
もともと財政の出動により、景気を回復させ、雇用を拡大するという政策は、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズにより唱えられたものであり、このような考え方を一般にケインズ政策、ケインズ主義(ケインジアン)と呼んでいる。
小野氏は人々にとって価値ある有用な公共事業を実施し、沈滞した景気を盛り上げることが重要であることを説き、環境や社会福祉に配慮した事業を推進すべきであるという。しかしながら、この点について、果たして本当に有用で費用対効果のある公共事業を政府は企画推進することができるのだろうか、という疑問が残る。政府官僚はそこまで賢明なのか?
小野氏の見解は、不況期の経済政策の効果と影響について非常に説得力にあふれ、聴衆を魅了する論理性と一貫性を持っているものの、小野氏の政策の実行性、実行可能性には若干乏しいような気がする。
政策現場で公共事業を企画策定するまでに、政府部内で数多くの委員会を経なければならない。様々な調査結果を収集し、識者や関係者に意見を徴集し、それらを調整させなければならない。このように非常に時間と労力の要る段階を経て、実施に移るのである。(このように政策決定に時間がかかることを実施ラグと呼ぶ。)そのなかで、民主的な議会プロセスの中で多くの人々の支持を集め、有用で社会的意味ある事業を企画して、実施することなどできるものであろうか?
かつてケインズは、「寡婦の古つぼ」論を持ち出して、こう唱えた。街中の失業者を集めよ。そして都会中のゴミを集めよ。失業者に都会のど真ん中に穴を掘らせ、札束を詰め込んだつぼを集めたゴミで埋めさせよ。そして、それを失業者たちに掘り返させよ。
この政策は停滞した経済に良い効果があるとケインズは言ったが、公共事業というと、この「寡婦の古つぼ」論の物語のごとき、利権まみれの無駄なダムや高速道路などの土木事業を思いださせる。もちろんケインズは持論を強調するために「寡婦の古つぼ」論を持ち出したまでで、本気でこのような政策を実施せよとは言っていない。
「寡婦の古つぼ」論は、知ってか知らずか、公共事業を企画実施する難しさを言っているように見える。政府財務省はかつて「ダム論」を持ち出し、公共事業の経済効果は、ダムの水流ように経済の隅々に波及すると主張したが、有用で意味ある事業を実施することができるとは言っていない。
この点で、金融政策は景気を調整、安定化させるうえでかなりお手軽な政策といえる。日本銀行内で開かれる政策決定会合により金融政策が企画され、実際に実施されるには時間はあまりかからない。金融政策の効果が経済に波及するには時間がかかるといわれているものの、政治的影響から独立しているため、実施するまでには時間や労力は要らない。アメリカの経済学者ポール・クルーグマンは、「議長(総裁)の電話一本で金融政策が実施できる」といったが、金融政策は、不況を感知し、すぐに金融緩和に踏み切ることができて即効性に長けている。また、実施に至るまでの過程は透明性がある。したがって、金融市場で活躍する人々の「期待」にも影響を与えることができる。
しかし、金融政策が実際どの程度経済に影響を与えるのかというと理論的分析だけでは結論がでない。すごく実証的な分析が必要である。金融政策はまた、使い方を誤れば物価を不安定に上下させることもあり、金融市場を不安に陥れさせる「諸刃の剣」でもありうる。いずれにせよ、金融政策は経済に何らかの形で影響を与えているが、その大きさについて異論がたくさんある。
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