Thursday, June 29, 2006

税金は個性にかかる?!

イケメン俳優で知られるオダギリジョー氏と私はどう違うのか?

オダギリジョーのほうが、スタイルもよく、演技もうまく、映画や番組の出演に忙しい。オダギリジョーは話題のイケメンとして、番組の出演依頼は多い。ところで、当の私は、時給750円のアルバイトで、週5日働いて年収90万円ほどである。そのほとんどは、都会の高い家賃と光熱費に消えている。もちろん年金なんて払えない。社会保険にも入っていない。怪我をすれば大変である。

「格差社会」とよく言われている。今日の日本社会では、所得格差が広がっているというのである。人々の間の所得の格差をある程度縮めるために、「累進課税」という税制がある。これは、所得の高いオダギリジョーにたくさん税金がかかり、私にはあまりかからない、という税制である。

もっと詳しく言うと、所得が増えれば増えるほど、税率(所得に対する税金の割合)がそれだけ高くなる税制を累進課税制度といい、オダギリジョーの所得にかかる税率は私にかかる税率よりすごく高くなる。(どれだけ税金を支払っているかは、職場からもらえる源泉徴収票または市役所で発行される課税証明<たいてい発行手数料がいる>などで確認することが出来る。)

さて、オダギリジョーは私より税金を多く支払わないといけないのであるが、それは、オダギリジョーのほうが私よりもたくさん儲けているからである。なぜオダギリジョーがたくさん儲けるのか? 出演映画がヒットするからである。ならば、なぜ出演映画がヒットするのか? オダギリジョーがイケメンだからか? 演技がうまいからなのか? 

仮にイケメンだから税金をたくさん支払わなければならないとすると、政府はイケメンに重い税金をかけていることになる。また仮に、うまい演技であれば、うまい演技に重い税金がかけられることになる。

この場合を考えると、結局何に重い税金をかけているのかはっきりしない。税金は最終的にオダギリジョーの「個性」にかけているのであるなら、なぜ私の「個性」にはかからないのか? 私は「お金になる個性」を持っていないからである。ならば、どうすれば個性はお金になるのか、儲かるのか。税金のかかる個性とはいかなるものなのか?

税金は見た目は所得にかかっているが、実際は所得を生み出す原因、行動に対してかかっているのである。だから、ガソリンに高い税率をかけると、ガソリンが減るのではなく、ガソリンの価格が税金分だけ高くなり、自動車の乗車率が減り、バス・電車の乗車率が増えるのである。タバコに重い税をかけると、喫煙率が減り、二コレットが売れるのである。

仮に、政府は「儲かる個性」に重い税をかけているとすると、その政策的効果はいかなるものなのか? 「儲かる個性」を発揚することが妨げられるのか? 個性を発揮する場所が減るのか? 今のところ、私には想像できない。

Sunday, June 25, 2006

Metabolic Syndrome

Nowadays I've heard about the metabolic syndrome. We modern people may be related to the syndrome. Here's a summary of metabolic syndrome;

(The Yomiuri Shinbun, May 22,2006)
Yoko Mizui
The Health, Labor and Welfare Ministry announced that about 20 million middle-aged and older Japanese have the problem of so-called metabolic syndrome, in which fat accumulates around internal organs.

Metabolic syndrome is feared to cause stroke on heart attacks. ...one out of two middle-aged or older men is an actual or potential sufferer of the syndrome. As for women, it is one out of five.

It has been learned that visceral fat can cause diabetes, high blood pressure and hyperlipidemia- excess fat in the blood. Combinations of obesity with these three factors have been closely connected with the risk of heart attacks and strokes.

As people in this country began to enjoy a richer diet after World War Ⅱ and exercised less as automobile use spread, more and more people have become fat.

...The ministry proposed measures for addressing metabolic syndrome in its efforts to prevent lifestyle-related diseases in a package of bills concerning health care reforms under deliberation in the current Diet session.

...The best way to overcome metabolic sydrome is through exercise and a healthy diet. ...avoiding high-energy animal fats and sugars and taking low-energy vegetables, mushrooms and seaweed is effective in reducing visceral fat. Regular exercise is also important.

...The business world has become interested in metabolic syndrome and has developed various projects to control the nation's medical expenditures and develop the health care industry.

I am too a little fat for 25. I'll be careful of my health not to make friends with metabolic syndrome.

殺しには殺しを

痛ましい記憶である。6月20日毎日新聞の記事からである。

山口県光市のアパートで平成11年4月、会社員、本村洋さん(30)の妻子が殺害された事件で、殺人罪などに問われた男性被告(25)=事件当時(18)=の上告審判決で、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長=退官、上田豊三裁判長代読)は20日、無期懲役の二審・広島高裁判決を破棄、審理を同高裁に差し戻した。検察側が死刑を求めて上告していた。 

最高裁によると、・・・12年3月の一審・山口地裁判決と14年3月の2審判決は「犯行態様は計画的とまでは言えない。年齢も(死刑が適用できる)18歳になって1カ月しかたっておらず、内面の未熟さが顕著で、更生可能性がある」と判断し、死刑を選択しなかった。 

一、二審判決によると、被告は11年4月14日午後2時半ごろ、光市の本村さん方で妻、弥生さん=当時(23)=の首を両手で絞めて殺害。また長女、夕夏ちゃん=同(11カ月)=を床にたたきつけるなどした上、ひもで絞殺した。

本村洋さんの悲痛な叫びをメディアで見るたびに、「なぜ、こうも自分の性欲を満たさんがためにレイプしたクソ野郎を守らなければならないのか」と考えさせられる。悲しくも、辛い現実に一人果敢に立ち向かう本村さんの姿は、「もし、自分が本村さんの立場に立たされると・・」と思い、決して他人事には思えない。

レイプし、殺したことを反省しない被告。むしろ、何がいけないのかと開き直る被告の供述には何ともいえない。「目には目を、歯には歯を」というハンムラビ法典の通り、このイカレ野郎を公衆の面前で羞恥にさらし、八つ裂きすることは出来ないものかとも思う。・・・

ゲーム理論の分野で有名な「しっぺ返しの戦略」(tit-for-tat strategy)というものがあるが、これを私なりに解釈すると、その含意は、善良な市民を守るには、悪行に対して、悪行をもって制することが、悪行のないよりよい社会を作る最良の方法と言えそうである。

・・・殺人を犯す者は、死刑をもってこれを制する。これは社会正義を守るためではなく、普通に暮らす善良な市民を守るためである。したがって、死刑の模様は公衆の面前で公開され、これから殺人を犯そうとする者に見せしめ、抑え、これから殺される人を守るのである。

私は死刑制度に賛成である。私は死刑は殺人を抑止し、残虐な殺人のないよりよい社会を築く効果があると思っている。殺人がなぜいけないのか? それは、自分は殺されたくないからである。自分が殺されたくないのであるなら、相手も殺されたくはないはずである。自殺願望者を除いて・・・。

死刑は人道上問題であるとする人権団体に対して理解に窮する。人権を侵す死刑制度は文明の後進性の現れだというが、人権を侵す行為を許す社会こそが後進性の現われだと思う。

人権を侵す人間の人権を守る。一方で、人権を侵された人間の人権が守られない。何か矛盾してはいないだろうか。たとえ人権を侵した者が未成年であっても、自分の人権は侵されたくはないはずである。 ならば、殺人を犯した者が未成年であろうと、すべての殺人には殺人をもってこれを制しよ。ならば、多くの善良な市民の人権が守られよう。

死刑は人権を守る方法として、最悪ではあるが、これまで考えられる中では最良の方法ではないだろうか?

Tuesday, June 20, 2006

村上ファンド

6月5日月曜日、MACアセットマネジメントこと村上ファンド代表の村上世彰氏が日本放送株取得に関わるインサイダー取引の容疑で逮捕された。

「もの言う株主」で有名になった村上氏は、日本の企業統治(コーポレート・ガヴァナンス)に株主の意見がもっと反映されるべきである、との立場を強烈に打ち出した。その自信過剰とも見える彼の説得に、一部マスコミは彼の金儲けに対する考えを批判した。

かつてホテルニュージャパンの経営者であった故横井 英樹氏が、「金は汚く稼いで、きれいに使え」という名言(?!)を残し、今回の事件はそれを思い出させた。村上ファンドの村上氏、そしてライブドアの堀江氏といい、汗水なくして荒稼ぎするマネーゲームに公衆は高い反感を抱かずにいられなかった。

さて、当の村上ファンドは何をしていたのだろうか。根本的な疑問に立ち返ってみたい。この話をするには例え話を使うと理解がしやすい。

私がアイスクリーム屋を立ち上げたとしよう。

アイスクリーム屋を経営するには金が必要だ。そこで私は株券を作ってお金を集めようと考えた。株券はお金を持っている人に買ってもらうことで、お金を集めることが出来る。(このようなお金を集める方法をエクイティー・ファイナンスという。)

しかしながら、お金を借りるのであるなら、銀行があるとおっしゃる人がいるかもしれないが、銀行はふつうお金を貸してはくれない。

さて、株券でお金を集めるため、どのようなアイスクリームを販売しようとするのかを私はお金を持っている人たちに説得して回った。高齢者、シニア向けの低脂肪、低カロリーのアイスクリームを開発、販売することを説明した。金はほどほどに集まり、それで事業をすることが出来た。幸運なことに、私はアイスクリーム事業を何とか成功させることが出来た。利益が出たのである。

私はその利益をお金を出してくれた株主に還元することにした。これを「配当」という。株主は、さらなる高い配当が得られることを期待して、私の事業がさらに成功することを願った。さらに、私のアイスクリーム事業の成功を聞きつけ、新しい人が私の株を買いたいといってきた。株の価格である株価は値上がりした。

ここで、突如頭のいい秀才が私の株を買い占めようとしてきた。私の株価がさらに値上がりすることを見込んで、発行している株券を私の株主から買い占めたのである。その秀才は、私のアイスクリーム事業はさらに儲かるし、株主にその儲けをもっと還元すべきだ、といってはばからない。ことあるごとに私の経営にコメントを寄せ、時に私を批判する。

しかし、私はその秀才が何を考えているのかすぐにわかった。私の株を買い占めて、株価が上がったころを見計らって、売ってしまうのである。株券の買いと売りの差額である利ざや(キャピタル・ゲインという)を得ることが目的なのである。そもそも私の事業には興味がない。

噂によると、その秀才は知り合いからたくさんのお金を集めて、そのお金を使って儲かっている企業、株価が上がりそうな企業の株を買って、その売買で利益を得ているという。その秀才もさることながら、その秀才の知り合いもかなり儲けているらしい。

以上、ファンド会社とは、顧客からお金を集めて、そのお金で儲かっている企業や優れた技術・顧客を持つ企業の株券を購入し、その運用益で事業が成り立っている。優良な企業に対して出資すること自体悪いことではなく、更なる事業拡大にとって大きな支援になりうる。しかし、事前にこれから買う株やその企業の内部について知った上で、株を購入することはインサイダー取引といって違法なのである。なぜなら、これからその企業の株を買おうとする人からすると、その取引は公平ではないからだ。

村上氏は「(事前にその企業の内容を)聞いちゃった」と言っていたが、これが違法であることに違いはない。金儲けにはルールがあることを改めて知らせてくれた今回の事件は、公平かつ競争的な市場経済において、お金は「汚く稼ぐ」のではなく「ルールに基づいてきれいに稼ぐ」ことが求められることを教えてくれた。

Monday, June 19, 2006

「きっかけ探し」のフリーター

私は将来大学院へ進学するため、現在はフリーターである。フリーターの増加が社会問題として、新聞紙上で報告されている。そして、最近は働かない、勉強しないニートという存在までも注目されている。今日はフリーターについて考えたい。

「フリーター」という言葉は、1987年11月にリクルートの求人情報誌『フロム・エー』で、「フリー」と「アルバイター」が融合して生まれた。

ここで、社会実情データ図録というものをたまたま目にしたので、このサイトのデータに基づいて、フリーターについて話したい。
※以下の内容は、ブログ作成者本人による見解であり、上記紹介のサイトとは何ら関連がない。したがって、以下の内容における誤りはブログ作成者本人によるものである。また、引用箇所は一部修正している。


・・・最近のフリーターの人数は、厚生労働省では213万人(2004年)、内閣府では417万人(2001年)としており、・・・いずれの定義によってもフリーターの人数は10年間で倍増している。 

厚生労働省のフリーターの定義は、フリーターという立場を選択している人(正社員になりたくない人)、内閣府の定義は、フリーターにならざるを得ない立場の人(正社員になれない人)を含むという違いがある。現在無職の人のうち前者はパート・アルバイトを希望する人のみカウントし、後者では、正社員を希望する人を含めてカウントしている。

後者は、正社員になりたくない人となれない人を両方含んでいるので、当然、数は多くなる。なお、内閣府定義のフリーターには就業者としてパート・アルバイトばかりでなく、最近増えている派遣・契約等も含めているのでなおさら数が多くなっている。 

・・・内閣府定義の2001年フリーター数では、若年人口(15~34歳)の9人に1人(12.2%)、学生・主婦を除いた若年人口の5人に1人(21.2%)がフリーターとなっている。  

就業意欲や働くことについての話題は事欠かないが、その多くにフリーターに対する世の感慨を見ることが出来る。働くことを嫌い、人の話を聞かず、個性を主張しすぎ、自分のしたいことしかしない。自分の権利ばかりを主張し、社会的義務を果たさない。将来何がしたいのかわからないといい、「自分探し」と称して親の脛をずっとかじって遊んでいる・・・。

フリーターのイメージはざっとこのようなもので、私自身聞いていて実に耳が痛く、図星であることも多い。しかし、実際にフリーターとはどのような存在なのかを改めて問うことはない。そこで、次に経済誌「エコノミスト」(毎日新聞社)、2005.3.22号の特集記事を紹介しながら、フリーターについてさらに考えよう。

彼らはなぜ、正社員にならないのか
小杉礼子

・・・東京に住む若者を対象にしたインタヴュー・アンケート調査によれば、・・・フリーターは次の3タイプに分けることが出来る。・・・①芸人志望などの「夢追い型」、②自分に合う仕事を探したいなどの「モラトリアム型」、③正社員に応募しても採用されなかったためという「やむを得ず型」、である。
(一部修正)

上記記事によれば、①は全体の1割、②は5割、③は4割を占めるという。バブル期は、①の「夢追い型」がフリーターを意味したが、近年は②、③の「モラトリアム型」、「やむを得ず型」のフリーターが増えているという。

実際には、自分探しに明け暮れ、自己主張の多い、非常識な幼い若者というフリーターのイメージとは少し違う。本当は働きたいんだけれども、満足のゆく職場で働くことが出来ず、キャリアの試行錯誤に心身をすり減らす実情が見えてくる。

フリーター増加の背景は、

①働くことへの若者の意識や行動の変化
②長きに渡った景気の低迷

の2つがあり、②のマクロ経済的要因が大きいと考えられている。また、

③新規学卒(大学を卒業したての者)を重視する企業の採用慣行
④人件費を低く抑えることが出来る非正社員(パート、派遣、アルバイターなど)、教育訓練を必要としない即戦力を求めた中途社員への需要の増加

という企業の労働需要の要因も無視できない。

企業のこのような採用行動の背景には、市場経済の国際競争の激化がある。何より、市場の環境変化に柔軟に対応できる企業経営が求められているため、雇用の流動化(必要なときに採用し、不必要になれば解雇できる)が一般化しつつある。

また、制度的には、

⑤1999年の「労働者派遣法」(1985年成立、86年施行)の改正

がある。これは、派遣対象業務を限定した「ネガティブ・リスト」を破棄し、派遣を原則自由化したのである。これにより、企業はより派遣社員を様々なかたちで利用することが出来るようになり、派遣労働者は一気に増加するようになった。

社会保険などの諸費用のかからないパート、アルバイトなど非正社員へのニーズは事務、経理などを中心に高い。企業としては、営業経費の大部分を占める人件費を極力低く抑え、損益分岐点(損失か利益になるかの境目、これについては、出来れば近いうちに当ブログで紹介したい)を低くできるメリットがある。

しかし、企業経営の実態よりも、一番気にしたいのが、フリーターの気持ちである。私も含め、フリーターの人たちは何よりも今の不安定な現状に甘んじているわけでなく、出来れば、よい仕事に就き、家族世帯を持ち、そのなかで自分らしさを体現したいと考えている。

やりたいことが見つからないのではなく、やりたいことが本当はあるんだけれども、どのようにすればやりたいことが出来るのか、あるいはやりたいことに近づくことが出来るのか、という点で多くのフリーターは模索している。「やりたいこと探し」ではなく、やりたいことの「きっかけ探し」をしているのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。

例えば、歌手になるにはどうしたらよいのか。どこのプロダクションに入ればよいのか。お金はどのくらいかかるのか。売れるまでの日々の生活費をどう捻出しようか。年金や保険どうしようか。どのような人に認めてもらう必要があるのか。認めてもらう人にどのようにアプローチし、どのようにアピールすればよいのか。・・・

行政による自分探しや仕事探しのための教育支援・職業紹介支援策は、果たしてフリーターに適合しているのか。やりたいことへのきっかけとなるようなインターンや期限付きの派遣労働(最近は紹介予定派遣といって、ある期間派遣として働き将来正社員になれる雇用契約がある)のほうがより積極的にフリーターの気持ちと行動によい影響を与えることが出来るのではないか。

「等身大の自分との出会い」、「人間力」などという意味のない言葉を並べて、にわか精神論を説くメディア、現状の打開策に職業訓練施設などハコモノを作って対応しようとする行政は、今のフリーターが直面する環境やそれに対するフリーター自身の気持ちをもう少し汲み取るべきではないだろうか。

私は、民間派遣会社と協力し、民間資源を大いに活用したフリーターのための期限付き派遣雇用の斡旋を、フリーター対策としてやってみてはどうだろうか。その目的は、18歳から35歳までのフリーターの職業に対する視野と機会の拡充にあり、時給700円前後の、社会保険完備、住宅付で、官民問わずあらゆる職場に3年にわたり派遣してみてはどうだろうか。

このような派遣の働く機会はたくさんあるだろう。公立小、中学校の補習授業で採点を手伝ったり、福祉、医療施設で、老人の介護や患者、または施設の見回り、など特別なプログラムを組んだインターンよりも、ありのままの職場が体験できるようなインターンこそ効果がある。

KGB~My Way of Blogging

KGB is not the Russian-language abbreviation for State Security Committee, but the Japanese-language abbreviation for Home Studying Blog(Katei Gakushu Blog).

The primary aim of this blog is to understand how our society works and to translate my thoughts about socioeconomic events into my words.

My high school put all of its energy in encouraging its students to make it a rule to study home everyday by theirselves. Then our teachers told us to make a KG notebook when we did our homework. KG notebook is the notebook prepared for studying home. KG is the Japanese language abbreviation for Home Studying, Katei Gakushu. Homework may well be done on a KG notebook.

In my memories of high school, I didn't like making a KG notebook and doing my homework on it. Our teachers said to us, "write down what you've learned today at school and your thoughts on a KG notebook, and you'll be able to memorize it." It is very important to put our ideas on a KG notebook by our own words, they emphasized.

It was a bother to put my thoughts on that notebook, but now I think it is right. So I will not do a right thing on a notebook but on this blog. I want to call the way of this blog Katei Gakushu Blog, KGB. KGB will provide you with a lot of good information and pedagogical knowledge in secret.

Friday, June 16, 2006

What Mistakes Tell

I often miss what a person says and can't catch well what he or she means. Everyday I misread what a today's newspaper reports and takes much time to understand it. I must be writing a wrong spell of English words when I am blogging just like this. (If you find it, tell me in secret.)

I happended to see an issue of the Yale Economic Review have an intriguing article;

Great Minds in Economics: Paul Samuelson
by Mark Schneider

...People often view mistakes in a bad light. But Paul Samuelson, like economics itself, has recognized that mistakes are an inevitable, if not necessary, step.

...Mistakes may be the result of negligence, but they can also be the result of extreme effort in the search for truth. The key is the relationship between the two. Samuelson not only recognizes the value in falling to get up again, he promotes it. “My own credo,” he said proudly “is ‘Be wrong! Yes, but don’t stay wrong.’”

Paul Samuelson is a prominent American economist and once had a great influence on the development and the practice of economics. He won the Novel Prize for his historial works on economics. Some economists say Samuelson is the God of modern economics.

He was the economist whose name I first knew when I began to study economics at university. However I've read none of his articles and known just only his name though I majored in neoclassical economics at graduate school.

...Mistakes may be the result of negligence, but they can also be the result of extreme effort in the search for truth. It's a very insightful statement. This is the comment I like best.

In my case, mistakes may not be the result of effort in the search for truth but the result of negligence.

Wednesday, June 14, 2006

Koizumi Reforms Make Japan Sustainable

What would the prime minister Junichiro Koizumi's structural reforms be evaluated by the historians of the next generation? Koizumi Reforms have ever been paid a significant attention to and had many things to talk about among almost all the people throughout the country.

The main purpose of these reforms is said to make a "small government" by privatizing the public organizations like Japan postal service, which does regulate less likely the private market economy and leave well enough alone.

As the U.S. president Ronald Reagan once said that the government is not the solution to the problem but the problem, it seemed the old-fashioned "laissez-faire" governmental management policy, which had been believed to be the best policy in the late 19 century in the capitalist countries like then the Great Britain and the United States and leaves things to take their own course without interfering. This Reagan's way of pursuing a small government soon became known as the "Reaganomics".

Koizumi's way of state governance has been reputed as the copy of Reaganomics in terms of a heavy weight on the freely organized market economy. Some naive questions would be asked about the policies Koizumi gets to proceed; Do the reforms make us a happy and wealthy life? Do they hurt us? To what extent if they hurt us ?

Today's Japan Times' column has a good summary about the Koizumi Reforms and the difficulties Koizumi has to tackle;

(Monday, June 12, 2006)

A tenable vision of efficiency
By KEIZO NABESHIMA

Prime Minister Junichiro Koizumi's structural reforms for creating a "simple, efficient government" have entered the final phase.

...According to estimates by the Cabinet's advisory council, 20 trillion yen is required to eliminate revenue shortfalls. The new council has agreed that more than half of the revenue shortfalls should be covered by cuts in expenditures. However, the government and the ruling coalition have yet to agree on specific measures for cutting expenditures by as much as 10 trillion yen.

...Within the LDP, though, talks on budget-cut measures are encountering difficulty. The focal issue is how much to trim social-security expenditures, which amount to 20 trillion yen or a quarter of the government budget.

Reductions in social-security expenditures would lead to increases in personal expenditures for medical and nursing care. Furthermore, the proposal to cut public works investment by 3 percent annually over five years would hurt local economies dependent on such investment.
Proposed cuts in tax revenues allocated to local governments would lead to wider financial divides among them.

...Since it will be impossible to cover revenue shortfalls only with expenditure cuts, debate on tax hikes, especially a raise in the consumption tax, is unavoidable.

...Tax reform for averting a fiscal crisis as the population ages and birthrates fall is crucial. Former Chief Cabinet Secretary Yasuo Fukuda, ...asserted last month that a raise in the consumption tax was the only viable option for balancing the budget (and that) a 5 percent hike in the consumption tax would produce 12 trillion yen in extra revenue a year.

The comment was an apparent challenge to (now Chief Cabinet Secretary Shinzo) Abe, who argues that drastic cuts in expenditures should first be implemented in line with Koizumi's reform plans. As the top spokesman for the Koizumi government, Abe is not in a position to push for a higher consumption tax. Fukuda has no such restrictions.

...The administrative reform promotion law sets goals to be achieved in five to 10 years in various fields. The goals include a 5 percent cut in the number of central government bureaucrats by 2010, the consolidation and privatization of government-backed financial institutions, and the halving of the number of special accounts (now 31) in the government budget -- which are in addition to the general-account budget -- to produce 20 trillion yen in surplus revenue for restoring fiscal health.

...Last year, the nation's birthrate fell to an all-time low of 1.25 children per woman, and the population saw its first year-on-year decline. The government predicts the population will fall below 100 million in 2051. The proportion of people aged 65 and over, which exceeded 20 percent for the first time last year, is expected to top 35 percent by 2050.

...Koizumi's reform agenda for creating "a simple, efficient government" merits praise as a policy goal. But it will be meaningless unless it engenders a socioeconomic system for comfortable living with less anxiety, based on a cost-benefit analysis.

Koizumi Reforms come to an end to a drastic cut in government expenditures. Here is a critical statement that the poor fatherless families and elder pensioners will be neglected under the policies Koizumi seeks. Some commentators, who are usually thought to be the conservative LDP members, call them the "Cut-off-Poor" policy, which means the policy not to take care of the poor.

A smaller government, with tax rate lower, leads to a smaller expenditure and thus a lower level of welfare services. It is happy for the workers in the companies, who are always taxpayers, to pay a lower tax, whereas it is not pleasant for the children or elder people, who are supported through the public education or pension system, to take the inadequate public services.

To the contrary, a larger government requires a heavier burden with its social security service adequate. The people enjoying the benefits of public welfare systems would be happier than the payers for the benefits, the employees or executives.

I would like not to ask you which is given a higher priority to, the taxpayers or welfare receivers, but to ask what the government does for the whole citizens. Should the government do much for us? Or less for us? To what extent should the government do for our everyday life?

Now the modern capitalist society has many difficulties and challenges necessary for us to takle. More people are getting older and becoming the retirees and pensioners, less people working and paying tax. Could less working people help more elder people with their remaining lives? If the government took care of them, both a hike in tax rate and a broader tax burden would be required. It is not a sustainable way for the government to supply enough social security services to support their lives without tax rate increasing.

We have to think of the new style of governing Japan for the next generation. Cutting the expenditures and increasing the taxes would be necessary for us to build a sustainable path to the next society. Koizumi's way of reforming the structural systems to support the present welfare state is not wrong. The government should encourage the private companies to do what they can do and revise the public services organized by the inefficient governmental enterprises.

We should look more up on the efficiently organized market economy. Free market leads to efficient allocation of resources as textbook says. And at the same time we should reconize the necessary role of the government to fix the failures and disorders of the market economy. In terms of reorganizing the results of the markets, the role of the government is not small but limited to solve the problems.

Monday, June 12, 2006

マニュアル主義はダメか?

私はちょっとの間だけ会社員をしていたことがあるが、そこで先輩からよく教わったのが、「マニュアルに頼るな」ということであった。派遣社員として、私が別会社で働いたときもそのように教わった。

しかし、私はふと思った。マニュアルに頼るのはそんなにいけないことなのか?

仕事のやり方をメモし、整理して、その工程を文書に残し、次回からそれを見て仕事をすることは、できるだけ同じ間違いをなくし、自分がやっていることを後で改めて見直すときに、必要なことであるように考える。

「マニュアルに頼るな」という先輩の理由は、「臨機応変に対処できない」というものであるが、まずは仕事の基礎を身に付けてから、応用問題(臨機応変な事態)をこなすことこそ正道であると思う。

人それぞれ仕事のやり方があり、そのスピードは違うものと思う。そこで、仕事の出来不出来を平準化するために、勉強に限らず、ビジネスにおいても、教科書が必要だと思う。色々な問題を解くには、その解き方を書いたマニュアル(先輩の口頭ではなく、紙に書かれたメモ)が必要である。何回も見直し、何回も解いていけば、自然と応用力がつく。

私の学習理論の根底にあるものは、「教科書(マニュアル)を読みこなせ」というものである。参考書(先輩のアドバイスなど)も必要ではあるが、教科書(仕事のやり方が文書で整理され、問題例が載っているメモなど)の方が、特に新参者にとっては重宝する。

案外、仕事の現場には教科書、マニュアルらしきものがないことに気がつく。そもそも仕事のやり方は、企業のノウハウであり、「見えざる資産」(経営学者伊丹敬之氏の言)であることから社外秘とされる。このことから、仕事のやり方を書いた教科書を作成しないのかもしれないが、ただ単に時間がないからマニュアルが作れないという理由が多いように思う。

しかし、教科書を作ることは企業の信用を高める上でも必要かもしれない。10人社員がいて、10人とも解答が違うのがよい会社なのだろうか? やはり、10人社員がいて、出てくる解答が1つの方が消費者、ユーザーとしては安心する。

エコノミストがよく批判され、信用されないのもこの点にあるといえる。アメリカの元大統領ロナルド・レーガンが、「エコノミストたちになぞなぞクイズを出せば、100問につき3,000通りの答えが返ってくる」となじったほどだ。

最近は定番の経済学の教科書がたくさん出版され、エコノミストの政策提言も平均化されつつあるように思う。 このことからかもしれないが、政策現場における経済学に期待を寄せる向きもある。

話は戻って、時間がかかり、めんどくさく、少し愚直なことではあるものの、マニュアルを作成し、それに基づく仕事に揺るぎはないと思う。

Sunday, June 11, 2006

ALWAYS 3丁目の夕日

映画ALWAYS 3丁目の夕日を見た。よかった。

この映画は、当初いわゆる「団塊の世代」(1946年から1949年生まれの世代のことで、作家の堺屋太一氏の命名による)に受ける映画だといわれていたが、25歳の団塊ジュニア(厳密に言うと、団塊ジュニアは1970年代生まれの人を指す)の私が見ても、面白かった。

戦後間もない、まだ物のない時代。集団就職で青森から上京し、小さな自動車修理工場にきた少女。文学を目指し、親から勘当され、上京してきた青年とその青年の下に転がり込む孤児。人に言えぬ過去を持つ居酒屋の美人女将。空襲で家族を失った街医者。・・・

貧しい時代の中にも、一光の希望と夢、そして愛を見出そうと日々を歩む人々の姿を描いたこの映画は、ストーリーこそありふれた筋書きではあるものの、力強く生きる人々の心と物悲しい気持ちを私に与えた。


みんな貧しかったものの、誰もが豊かになれる、誰もが幸せになれる、そんな希望にあふれた時代だったのかもしれない。実際この映画を見ていて、誰が主役なのかわからない。それもそのはずのような気がする。みんなが主役だったのだ。

一部のヒルズ族が主役に見える昨今の格差社会において、逆にあの貧しかったけれど、誰もが幸せになれる、少なくともそんな気持ちにさせる1950年代に憧れに近い懐かしさを現代を生きる人は抱いたのかもしれない。そう私は思った。

もののありふれた今の時代に生きる私にとって、この映画の時代背景に今の日本にはないどこか遠い時代の異風景を見るようでもあり、「皆が前を向いてひとつになる」という高度成長の只中にある日本人の群集心理をも伝えているようでもあり、とても興味深かった。

ところで、大阪の今里界隈にいくと、色褪せた商店街のアーケードや古い家屋などALWAYSの世界が一部残っている。この地域は空襲の被害をあまり受けなかったことが、過ぎ去りし遠い時代の風景を今に伝えているらしい。

是非、この映画をご覧いただきたい。

My Real Face

Saturday, June 10, 2006

Policymaker and Professor

Today's Japan Times has an interesting article about one female policymaker and economist of BOJ.

(Friday, June 9, 2006)
Miyako Suda doesn't think of her job on the Bank of Japan's Policy Board as only talking to economists and crunching numbers. ...Suda, 58, was first appointed to the nine-member board, which steers the country's monetary policies, in April 2001.
Not only is she just the second woman to sit on the board, with her reappointment last April, she effectively became the first person to get a second five-year term under the revised Bank of Japan Law, which took effect in April 1998.

I first met her when attending her lecture on the current BOJ monetary policy, which was held by the Department of Economics, Osaka University in January 2005. I remember that I asked her the one question- do you keep in mind the effects on the rest of the world when making monetary policy?

She said no. She and the other policy board members usually don't think of the influences on the other foreign economies such as the U.S. economy when planning and implementing monetary policy.

She said that she is considering only the Japanese economy when conducting monetary policy though she at first had wondered why BOJ doesn't think of the economic influences on the other countries when it makes monetary policy.

The former professor of international economics and economic theory at Gakushuin University believes her job includes making the public aware of the importance of stabilizing monetary value and consumer prices. She has given more than 20 talks to mostly young people on finance and the economy.

Knowing about money "will help people when thinking about how to lead their lives," Suda said in a recent interview with The Japan Times. "I used to think financial education was about educating the public about risks and returns when making an investment," but it is more about learning how to use your money in daily life, she said.

I agree with what she says. When I come to dislike studying economics, I always try to think that I can clear my understanding on the actual economic activities by studying the economic theories and I can find what we should do as a policymaker in front of the economic problems by applying the economic models.

...She said that learning about American financial education -- characterized by former Federal Reserve Board Chairman Alan Greenspan's words, "No matter who you are, making informed decisions about what to do with your money will help build a more stable financial future for you and your family" -- was an eye-opener.

The more people learn about money, the easier they can make financial plans-for example to buy stocks, bonds, mutual funds, insurances and so on. There have been the discussions about whether a financial education should be encouraged in the primary and junior high school. Some critics say it is somewhat immoral to teach pupils and students at school how to buy stocks and bonds with the internet and to earn money without sweat and tears.

I don't know very well whether a finacial education should be done. However it is favorable for the young to study how the economy and the financial market works and to experience the imaginary management of small business.

..."Since the economy continuously changes and is growing more complex, analyzing the current state of the economy while using economic theories as a measure helps make consistent decisions," Suda said.

I think that a policymaker should know and use economic theories when planning economic policies. Don't you want to see a doctor who doesn't know medicine well, do you? No economic commentator but economic expert should plan and do economic policies.

Slumping Tokyo Market

Nowadays the stock prices in Tokyo Stock Exchange Market are declining, though the Japanese economy is said to have been recovering from the persistent deflationary stagnation. Now many Japanese business people feel unpleasant about such a present economic condition. What does Tokyo market imply about the Jpanese economy? Will the Japanese economy again go to an annoying recession?

Today the Yomiuri Shinbun, which is the Japanese newspapers read most in Japan, says,


Stock prices in Tokyo plummeted Thursday due to a fall in the U.S. market the previous day, with the Nikkei Stock Average of 225 selected issues falling to below 15,000 for the first time in about six months. (Jun. 9, 2006)

According to the above, the U.S. stock prices are also now decreasing. Here I will raise one question; does a fall in the U.S. market lead to a decrease in Tokyo market?

There has been a rule of thumb said generally in Japan; "If the U.S. had a sneeze, Japan would have a cold". It means a tight economic relationship between the U.S. and Japan. Certainly now Japan has been trading a great deal of goods and services with the U.S. and vice versa. And thus the business activities in the U.S. have a great influence on the Japanese economy.

It is therefore thinkable that the falling stock prices of the U.S. market result in the decrease in those of Tokyo market because the stock prices reflect the current and future business activities. However I don't know properly the mechanism of how the U.S. market affects the Tokyo market. (If you know the mechanism, please tell me!)

Here is another article implying about how a stagnating U.S. market leads to slumping Tokyo market;

NEW YORK (Reuters) - Shares of Wall Street's biggest brokers, bankers and exchanges fell on Thursday amid a broad collapse in stock prices triggered by fears of rising global interest rates and inflation.


..."This is not a reflection of the current business (on Wall Street). Earnings should be very strong, probably above expectations in most cases," said Tim Ghriskey, chief investment officer of Solaris Asset Management in Bedford Hills, New York. "The market's fear is in the future. Market weakness can often eventually lead to lower trading volumes as investors abandon the market."

..."Markets seem to be concerned the Fed will create a significant slowdown or recession. That would certainly take the edge off some businesses, like equities and credit," said Merrill Lynch brokerage analyst Guy Moszkowski. "Right now, the market is retreating from risk." (Jun.8, 2006)

Three points should we take care of in the above article;

(1) Fears of rising global interest rate and inflation

Rising interest rate lessens the activities of business investment. High interest rate costs more to borrow money, which makes the business people buy less productive machines, build less factories and thus product less.

High inflation, high prices of oil and steel, etc, also makes them product less because they pass higher prices of products on to consumers. Fears of high interest rate and inflation lower production and thus economic activities.

(2) Market's fear is in the future

Stock price shows rather the future economic condition than the current. Stock price is said to be a leading economic indicator. It means a data series that fluctuates in advance of the economy. A decline in a leading indicator signals that an economy is going to a recession more likely. And so a weakening market makes business people expect that the future economy goes to a stagnation.

More important economic feature we'd like to keep in mind about the stock prices is that the expectation of business people affects the current business behavior. This feature is said to a "self-fulfilling" among economists. That is, business people expect the future economic downturn and actually makes the economy turn down.

(3) The Fed's creation of significant slowdown

The Fed chairman Ben Bernanke is reported to think of decreasing inflation. The purpose of the Fed is to stabilize an economy and a finacial market by manipulating money supply. Bernanke sees an inflation rising now in the U.S. economy and comes to think of decreasing inflation to stabilize the prices as the Fed chairman.

Just as economics textbook tells, killing inflation calls for a slowdown of business activities. It is because the Fed decreases money supply. (To the contrary, the Fed increases money supply and thus makes the business activities turn up and inflation higher.)

Rising inflation makes business people expect the Fed creates a downturn by decreasing money supply. The expectation of the future contractionary Fed action, which means the future weakening business activities, reflects the current stock prices of the U.S. market and realizes a fall of stock prices and thus an economic slowdown.

And then Japanese see the stock prices of the U.S. market decreasing and expect the U.S.economic downturn. The expectation reflects the current stock prices of Tokyo market, lowers trading volume with the U.S. and realizes the slowing economic activities in Japan.

Current slumping Tokyo market reflects the future downturn and realizes it more likely.

Thursday, June 08, 2006

世界の中の日本:食の大国「日本」

今日の小泉内閣メールマガジンから、東京大学大学院教授 伊藤元重教授の「グローバル戦略」についての投稿に注目しよう。

「グローバル戦略」について、・・・一貫して重視してきたことは、「選択と集中(比較優位の徹底)」ということでした。ヒト・モノ・カネの制約の下で我が国の活力を有効に引き出すためには、国内の資源を我が国が得意とする分野に集中させ、それを補完する形で海外の資源を最大限に活用することが鍵となります。 

私もこの考え方に異論はない。日本が国際社会の中で大きな存在感を示すために、日本にしかできないことにもっと力を入れていくべきであると考えている。こうすることで、日本は海外からも高く信頼され、日本人の作る製品やサービスに高い期待が寄せられる。 しいては、日本という国にも信頼が寄せられる。

日本のグローバル化には次のような課題がある。

世界で通用する専門的な知識や技術等をもつ優秀な外国人人材の受入れ拡大や介護等の分野の外国人人材の受入れ、・・・農業の国際競争力の向上のために農地などの稀少な資源を競争力のある農業者に集中させる仕組みの構築を急ぐこと

日本では外国人受け入れに対する抵抗が依然強い。言葉の問題もさることながら、それに付随する文化的摩擦や政治的紛争に対する警戒があるのだ。 言葉の通じない外国人が隣に引っ越してきたらどうか考えればよい。

また、農業の国際競争力という話題について、農業とはそもそも市場経済の原理に即さないという神話を唱える識者がいる。つまり、農業はただ食料を生産しているだけではなく、自然環境の調和、地域社会の風景やより豊かで健康的で安全な生活をも考えて、営んでいくべきである、というのである。


農産物は、工場での規格大量生産とは違い、そもそも市場価値には還元できない重要な要素を持つ、というのである。したがって、農業を国際化し、農業を営利民間の企業に任せて、「食の安全・安心」を無視することはあってはならないという。

一見もっともらしい議論ではあるが、上記の理由から「農業の国際化」が批判されることはない。むしろ、その逆で、市場価値には還元できない魅力ある農産物、より安全で環境にやさしい食の生産に日本が特化することで、日本の農業は海外からまたは日本国内の消費者から厚い信頼が寄せられるのである。

別に農業の国際化が食の安全を汚すことはないし、農業の民営化(近年言われている農業の株式会社化)が、健康的な生活を阻害することはない。むしろ、民間企業が農業をするほうが、補助金頼みの自営農家よりもよいかもしれない。ひとたび、安全でない農産物を提供すれば、消費者の信頼は崩れ、会社はすぐにつぶれるからである。

日本の農産物は農薬にまみれていない世界一安全なものである、というのは、もっとも消費者が求めるものではないのか。現に有機農法を売りにして野菜をネット上で販売する自営農家も数多い。

政策的にただ食料自給率を引き上げるのではなく、安心で、魅力ある食を生産できる環境を整備し、食品の安全基準を明確に示し、生産過程、流通過程の情報公開を徹底させることこそ、これから目指すべき食の大国、日本の姿ではないのだろうか。

English Version Taro Okamoto's Blog Now Begins!

Hello, the English Version of Taro Okamoto's Blog has begun.

I am very happy with this blog! And I would like to express actively my opinions and ideas about the political,economic and social problems which are currently raised in Japan and in the world.

The main purpose of my blog is to share my thoughts on current issues of Japanese and world society with the other readers of my blog. Clearing my thoughts through this blog, I would like to be able to enhance my horizon and to have the other people enjoying this blog broaden their outlooks.


Now I must keep the following 6 promises:

(1)Guard the privacies of both readers and me

(2)Do not insult the particular person by exposing the real name

(3)Do not contain the sexist jokes in this blog

(4)Guard the copyright and portraitright

(5)Do not force any particular thoughts and ideologies

(6)Express my opinions in both Japanese and English

Any mistakes in this blog would be made by its blogger Taro Okamoto. I would like to have the readers recognize that the contents of the English version of my blog will be somewhat different from those of the Japanese one.

OK, now is the time to get going!

Wednesday, June 07, 2006

「岡本太郎のブログ」始動!!

はじめまして。岡本太郎です。

かの日本を代表する洋画家の故岡本太郎氏と同姓同名の私ですが、本日「岡本太郎のブログ」を開始しました。

このブログの目的は、日本や世界における政治、経済、社会、教育などいわゆる「お堅い」ネタについて、「やわらかく」、つまり、わかりやすく、かんたんに綴っていき、広く公衆の意見を求めることです。さらに、私個人の日常もさりげなく語っていき、みなさんの考えや思いを自分の考えを明確にする中で共有できたらと思います。

ご愛好のほど、よろしくお願い申し上げます。

さて、本ブログでは、以下のことを遵守します。


①自分や他人のプライバシーを守る。

②実名を使って特定の人物を侮辱しない。
③卑猥な内容(特に女性蔑視に繋がる性的な趣味志向を意図的に含めた内容)を載せない。
④自分または他人の考えを強要しない。
⑤著作権並びに肖像権には十分に配慮する。
⑥日本語または英語で本ブログが公開される。

なお、本ブログにおける誤りの責任はすべて岡本太郎にあります。


それでは、はじめます。

Seven Rules of Taro's Blog

(1)I protect your privacy.

(2)I do not insult any particular person by exposing the real name.

(3)I do not contain any sexist joke in this blog.

(4)I protect the copyrights and portraitrights of any other person's products.

(5)I do not force you to have any particular idea.

(6)I try to write plain English.

(7)I welcome both cheerful agreements and polite disagreements.

私の履歴書

岡本 太郎(おかもと たろう)
出身地  大阪府   
出生年月日 1981年(昭和56年)1月6日
電子メール tarookamoto7@gmail.com

学歴
大阪大学院経済学研究科政策ビジネス専攻(2005.3)、応用経済学修士
ウィスコンシン大学院経済学部(2008.9)、博士課程
ポツダム大学、ドイツ、(2008.7)、サマープログラム

職歴
株式会社日本総合研究所研究事業本部新社会経済クラスター(2004.8)、夏季インターン

資格
英検2級

技能
ワード、エクセル、パワーポイント

研究テーマ・領域
貨幣、通貨、信用と恐慌

My Profile

Taro Okamoto
Master Degree (Osaka University)

E-mail: tarookamoto7@gmail.com

BIRTH: 6th January, 1981, Osaka, SEX: male

WORK EXPERIENCE:  
August 2004
The Japan Research Institute, Limited. / Summer internship

EDUCATION:
September 2007 - September 2008
University of Wisconsin-Milwaukee/Wisconsin/USA
PhD Graduate Student

Chancellor's Graduate Student Award 2007-08,
University of Wisconsin - Milwaukee

June 2008 - July 2008
University of Potsdam/Potsdam/GERMANY
Summer Program

April 2003 - March 2005
Osaka University/Osaka/JAPAN
Master Degree (Applied Economics)

CERTIFICATION:
The Society for Testing English Proficiency, 2nd Grade (Japanese high school graduate level), September 1998

SKILL:
Computer Skills: Word, Excel and PowerPoint (Microsoft)
Communication Skills: everyday English conversation

MY INTERESTS:
Money, Currency, Credit, and Recession