Saturday, July 07, 2007

保守と思索

日本の政治、または政治家とは如何にあるべきか、について考えたい。(参院選が近いので・・・・。)

読売新聞(2007.7.7)の橋本五郎氏のエッセイ(「五郎ワールド」)を読んで、今後の日本政治へのあるべき指針についてちょっとした示唆を見た気がした。

先日なくなった宮沢氏についてのエッセイであるが、五郎氏は宮沢氏が「思慮の人」であったからこそ、90年代初頭の首相のときに、「時代の要請」に答えられなかったと指摘している。

宮沢氏は、リーダーとは「白馬にまたがって『俺について来い』というものではなく、大型タンカーの船長のように、目に見えなくても仕事をしているというのが指導者だ」、という持論を持っていたそうである。その宮沢氏の政治スタイルが、90年代初頭の「政治改革」が叫ばれた時代、つまり「白馬」が求められた時代において行き詰まりを見せたと、五郎氏は指摘している。

いつの時代においても、民衆はわかりやすい小泉純一郎的な「白馬に乗った騎士」のようなリーダーを求めがちである。

しかし、現代の成熟した日本においては、むしろ宮沢喜一的な「大型タンカーの船長」のような目に見えない思慮のリーダーが求められるのではないか、という気がしてならない。

政治が我々の生活を日々改善するという(今日より明日がいい、という意味での)近代的な進歩史観、政治哲学により今日の政治を主導することは、民衆の価値観が多様化した今日において画餅であるような気がする。ある人にとって良い政策が、別の人にとっては良くない政策かもしれないからである。

「民主主義とは、『私はあなたの意見に反対である。しかし、あなたがそれを言う権利は死んでも守る』ということではないか」という見識、「保守とは主義ではない、生活態度であり、・・・どの程度の改善が全体のバランスを崩さずに可能かということを、立ち止まって計算する態度が保守である」(『社会党との対話』)という持論から、宮沢氏の思慮の一端が垣間見える。 これこそが、成熟社会日本の政治において求められ、このような落ち着いた「大人の見識」こそが政治の主柱としてあるべきだろうと思う。

しかしながら、五郎氏は、このような政治スタイルは高度成長期であれば歓迎されるが、政治改革の季節には不向きだったと指摘している。そして、五郎氏は文末にリチャード・ニクソン(元米大統領)氏の言葉を引用し、政治の世界における政治家、為政者の理想像を見ている。

「政治の世界では、思索の人は行動ができず、行動の人は思索をしないという例があまりにも多かった。理想的なのはウィルソン(元米大統領)のように偉大な創造的思索家であるとともに、断固たる行動の人であることだろう。哲学者ベルグソンは『思索の人として行動し、行動の人として思索せよ』という言葉がある。」(『指導者とは』)

しかしながら、これは少し欲張りである気がする。「二律背反」という言葉がある。一方を立てれば、他方は立たない。または、二兎追うものは一兎をも得ず、である。


行動家は行動に重きを置くがゆえに思索を軽んじ、思索家は思索を重んずるがあまり行動を捨象する。これこそが世の常ではないのだろうか。成熟した現代日本において大切なのは、むしろ時代を見据える思索である。「改革」という言葉は、常に民衆の心に訴えかける現実的な「行動」のともなった、情念に漲る爽やかな期待ではあるが、同時に民衆を空騒ぎさせ、日本の行く末を惑わすデマゴーグになりうる。

(主に『郵政改革』を標榜した「小泉改革」は、郵貯・郵便・保険の郵政3事業の民営化を成し遂げた偉業に見えるが、これが日本の生活を大きく変えたか? 結局これで喜んだのが、郵貯という競合がいなくなった銀行屋でないのか? 銀行は合併を繰り返し、寡占化を推し進め、業界の協調行動により巨額の利益を手中に収めている。そして、法人税の支払いを免除されている。これこそメスを入れるべき対象のような気がするが、これは「改革」ではないみたいである。確かに、郵便局は利用しやすくなったかもしれないし、棚から牡丹餅的な役人風情を正す機運は全く以って庶民感情からすると爽快ではあったかもしれない。しかし、私たちの生活の利便性はどこまで上がったのか? この改革の意義を説明できる輩は少ないのではないか? わかるように説明せよ!! 私は郵政の味方をするつもりは全くないが・・・、「郵政改革」も結局デマゴーグに過ぎたのではないか?)

今求められるのは、「改革」ではなく、今日の日本の豊かさを維持するための「行動」であり、それを支える「思索」である。「変化」ではなく「安定」なのではないか。 そのための「思索ある行動」こそが大人の政治ではないか。政治の世界でいう「変化」が、よく選挙前に発せられるとおり、私たちにとっての「よい変化」ではなく、政治家とその取り巻きにとっての「よい変化」のように見える。ならば、「変化」よりも今を維持する「努力」、「安定」を守る「施策」こそ、国民にとって現実的ではないのか。「豊かな安定」を追求する志こそが今求められる「保守」の姿ではないのだろうか。

2 comments:

Anonymous said...

I like cats.

Taro said...

Hey, a long time no see, cat-liking anonymous! How are you today!

Sorry I wrote Japanese, but keep an eye on Taro's blog! It has more English than one-year-ago Taro's blog.

Though you may find some of my English grammar incorrect, please put up with it. Thank you for visiting Taro's blog! Please come back again, of course, with your appropriate comment on it!