Friday, April 25, 2008

日本へ向けて

04/26/08 修正

これは当初から予期していたことでもあるが、今年をもって米国を離れなければならないこととなった。

成績が思うように振るわず、英語にも問題があったために、奨学金が下りず去ることとなった。当初の目標を貫徹できなかったという意味で残念であるが、こちらの教授から「去るべきだ」という指摘を受け、気持ちはすっきりした。

しかしながら、自分が志望する経済学への関心は萎えていない。ただ、今後は「研究者」としてではなく、「実務家」として経済学を就業生活の中で磨いていきたい。

これまでを振り返るに、やはり将来に対する漠たる不安が来米当初からあり、これが成績不振への遠因になったものと考えられる。

また、評価が米国では違うことを知っていたが、それになじめなかったのも一因となろう。英語は時間をかければよくなるのかもしれないが、話す機会の少ない小生にとっては1年間の飛躍的上達は困難を極めた。 話す機会を作る努力はしたが、目的や志向の違う人たちとの社交的な会話は長く続かない。

なによりも経済学が数学を使う非常に難しい学問であることが今回の件を招いたのではなく、経済学を職として食べていくことが困難な時代になっているということを改めて実感し、このことが今回の件を招聘した。

数学については、基礎的な訓練を受け、標準的な大学院レベルの経済数学ならひととおり説明できる自信はある。しかし、何年もの長い月日をかければ、研究者やエコノミストになれるという時代はもはやなくなった。

「去らなければならない」のではなく、「去りたい」のではないか。結果論からそう認めざるを得ない。しかし同時に、実務的にしっかりとした地盤を築いていきたい、という思いもこれまでずっとあった。

人生は不安だらけ。不安があるからこそ、人は努力する。常にそう言い聞かせている。不安を楽しめ、という人生訓もこの点で成立しようが、現実的な問題を含めて、不安よりも責任を感ぜずにはいられない。米国での修士号取得を良しとして、これを励みに進歩を遂げたい。

「われ十五にして学志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」といえば、三十で立てる準備をすべきなのかもしれない。

まだ迷いは晴れないでいる。しかし、人は四十にして迷わず、惑わず、己の職務を全うしたい。そのための実利的で地道な努力をしていかねばならないと感じた。これが小生の言う「責任感」である。これは、人のためではない、己のためだ。

しかし、人よりも豊かな人生を送るためには、それなりの職につかなければならない反面、自分にうそをつくような興味もないことを興味があるなどと自分に言い聞かせ続けなければならない職には就かないように努力せねばならない。

いやなこともせねばならないが、それ以上に責任感が持てる職に就きたい。

ざっと今の心境である。

このブログは引き続き、経済学ブログとして続けていく。また、英語はこれを機会に日本でも時間を見つけて練習を惜しまない。

静かなご声援のほどお頼み申したい。

No comments: