Today I am really unhappy with the approval of the governer of Miyazaki, the southern part of Japan for conscription as a way of educating young people. I respect him, but I do not respect it.
He was a famous comedian in the TV programs in Japan, and had a dream to join the government in his home country, Miyazaki. After he learned about local administration at university, he at last made his dream come true and now presides at the government of Miyazaki.
I think that he is a diligent governer and proposes new policies actively to the assembly. Now, many Japanese have paid attention to how his action will change the local administration in Japan. I also enjoy watching his action in his local administration. I see him as a new leader in a local administration in Japan.
However, I saw the article in a newspaper that reported that he agreed about conscription. It's sad! Let me explain my reason:
There may be many kinds of opinion about this matter. I do not like conscription. The reason is clear: it spoils the time of the young people. My reason for disagreement is always related to economics, and today it is also economically rational. I always think that any policymaker should judge by a rational thought, not morality. The favor of the governer of Miyazaki for conscription is rather a little too moral than rational.
The reason that the governer of Miyazaki favored conscription is that conscription is one of the best opportunities to give lax young people a good education and discipline in a modern affluent society in Japan. As you know, in many modern developed countries like Japan there have been many young people who are not working but leading an idle life all day long by working a part-time job, which has become serious as a social problem to solve. Especially in Japan, due to the past long-lasting recession, many young people still can't find good jobs. Although the Japanese economy has recovered recently, it is still not easy for many young people to find good opportunities to work for, and it seems that the impact of the past recession on the employment of young people is still left over.
One of the reasons for the existence of unemployed young people that many people have is laziness of the young people. Young people are generally grown up to be adults in a good environment, and so many of them don't have any experience of hardship in their life, which always makes people strong and patient, as some pundits say in Japan.
Certainly, there seems to be some truth in what they say, but I do not think that many young people (of course, including me!) are so lazy that they can enjoy an idle life, because it could be thought that the recent working conditions in the Japanese business society have gone worse than those around 10 years ago. It is thought to be because of the structural change of the industry in Japan. For the examples of bad working conditions in Japan, working overtime and unpaid working, especially in small (and medium-sized) businesses in Japan, are traditionally common. These problems are still unchanged at present even though these were once criticized as a serious problem of dumping in international trade between the US and Japan by the US government about 20 years ago.
I wrote about this topic in Japanese here, so I do not repeat it. However, it is natural that many young people avoid working in paying no wage. In my thought, we cannot deny that bad working condition keeps young people from working as they hope. There also seems to be something true.
If policymakers think of conscription as a way to make young people strong and patient under any hardship in their life, it is wrong! If policymakers think so, I would like them to consider another way to educate them:
In my opinion, government should give lax young people a opportunity to work for for a short period. Conscription also becomes a good opportunity for them to work in some way, but it brings no value in the economy, that is, it doesn't go a long way to many other people in the society. It only does well at the front of national crisis, but Japan now faces no crisis although North Korea points nuclear missile at Japan (North Korea is not a menace to Japan!!).
What does conscription give for us? - Nothing!
For example, it would be a good idea that government makes lax young people collect garbage and clean the street in the town. In Japan, these governmental projects have been done already, especially for elder people who have no jobs. If you went to the city in Osaka, you could see a lot of elder people collecting garbage in the street.
It became a little long essay, but finally I conclude by saying that conscription is not a way to educate young people. Consider a way to make young people go a long way for our society!!
Thursday, November 29, 2007
Wednesday, November 28, 2007
How To Use MATLAB For Economics
Recently I've wanted to use Matlab for studying economics. What and how should I begin to run it?
Thursday, November 22, 2007
貿易黒字は良いこと?
08/29/2010 一部修正
最近(11月21日から22日)の記事。貿易黒字、雇用情勢の悪化、そして、株価の低落。さて、これらの事象はお互いに関連しているか?関連しているとすると、どのように関連しているのか?とりあえず、新聞記事を読んでから、考えてみよう。
(1) 財務省が21日発表した10月の貿易統計速報(通関ベース)によると、輸出額から輸入額を差し引いた貿易黒字は前年同月比66.1%増の1兆0186億円で、3カ月連続プラスとなった。中東やロシア向けの自動車輸出が好調に推移し、黒字拡大に寄与した。 輸出額は13.9%増の7兆5155億円。輸入額も原油価格の高騰で8.6%増の6兆4969億円となり、輸出入額ともに過去最高を更新した。 地域別の黒字額をみると、対アジアは携帯電話部品の輸出が伸び、59.5%増の7473億円と10月としては過去最高。対欧州は英国、フランス向け自動車輸出がけん引し51.4%増の4759億円となった。一方、対米は低所得者向け高金利型(サブプライム)住宅ローン問題の影響で自動車や建設機械の輸出が伸び悩み、8.5%減の7173億円と2カ月連続で前年を下回った。(時事通信)
(2) 内閣府は21日、27日に公表する11月の月例経済報告で雇用情勢の判断を下方修正する方針を固めた。8、9月の完全失業率が2カ月連続で悪化したことを受けたもので、下方修正は平成16年9月以来、3年2カ月ぶり。ただ、企業の設備投資が堅調で全体の基調判断は維持する。 雇用情勢では、3カ月連続の「厳しさが残るものの着実に改善」との表現を「このところ改善の動きが弱まっている」に弱める見通し。9月の完全失業率が前月比0・2ポイント悪化し、半年ぶりに4・0%となった。原材料価格の高騰などで中小企業の業績が低迷していることが背景にあり、個別判断を見直すことにした。 一方、企業の生産が一時の低迷から脱したことで、設備投資は堅調に推移しており、設備投資については判断を上方修正する方向で調整する。個人消費は、足元の消費者マインドは弱含んではいるものの、家計支出そのものは一定水準を維持していることから判断は維持する。ただ、失業率の上昇は消費に波及する懸念も強く、先行き不透明感が増している。 (産経新聞)
(3) 21日の東京市場では、米景気の先行きに対する不透明感が広がり、為替、株価、長期金利とも大荒れの展開になった。円相場は2年5か月ぶりに1ドル=108円台を付けた。 株式市場では日経平均株価(225種)の終値が1年4か月ぶりに1万5000円を割り込み、長期金利は2年2か月ぶりの低水準を記録した。 東京外国為替市場の円相場は一時、1ドル=108円80銭と2005年6月以来の水準まで上昇した。午後5時、前日(午後5時)比、1円29銭円高・ドル安の1ドル=109円11~14銭で大方の取引を終えた。 米連邦準備制度理事会(FRB)が20日、米成長率予測を下方修正し、米国の追加利下げ観測が広がったことから、円買い・ドル売りが加速した。 (読売新聞)
日本の昨今の貿易黒字の詳しい解説についてはココ(ただし、英語)。経済の構造は
(1) (所得)+(輸入)=(消費)+(投資)+(輸出)
が均等するように成り立っていて(政府部門は捨象)、左辺は経済の供給(つまり、国内及び海外で生産された商品・サービスの量)、右辺は経済の需要(国内で生産された商品・サービスの購買量)を表している。つまり、
(2) (供給)=(需要)
がマクロ経済的に成立していると考えても良い。ここで、
(所得)-(消費)=(貯蓄)
でもあるから、最初の式に代入すると、
(3) (貯蓄)-(投資)=(輸出)-(輸入)
が恒等的に成立する。これをISバランスとか、アブソープションとか言ったりするが、なぜか、これらの用語は近年の教科書にはあまり散見されない。
さて、この最後の恒等式が、今の日本経済を説明してくれる。
*恒等式と方程式の違いだが、例を挙げるとわかりやすい。方程式は、3X+1=4。恒等式は、3X+1=3(X+1/3) つまり、方程式のなかのXにどのような数字を入れても等式は成り立たないのに対して(X=1のとき、等式が成立)、恒等式は常に等式が成立する。恒等式の「恒等」とは「常に等しい」という意味である。
さて、貿易黒字のとき、すなわち、外貨による収入(輸出)が外貨による支出(輸入)よりも多いとき、
(輸出)-(輸入)>0
が成立し、このとき同時に
(貯蓄)-(投資)> 0
が成立している。さて、この上記の式は何を意味しているのか?
(4) (貯蓄)-(投資)=(供給)-(需要)
と読み替えることで、
(供給)-(需要)>0
が得られる。貯蓄は財を購入するための原資であり、この原資から、財を購入し、それで物を作るという投資を行う。上記の式がプラスとは、物を購入し、財を生産する投資需要が、貯蓄という資金供給に見合っていない、つまり、カネが余っている状態を言っているのである。*以上の不等式は貸付資金市場の不均衡を表している。ここで、
(貯蓄)-(投資)> 0
は、国内の需要が供給に比べて低いこと、カネが余っている経済の「不況」、「不景気」をあらわしているとも読める。こう読むと、同時にもう一方では
(輸出)-(輸入)>0
となり、「不況」を意味するとも読める。もちろん、別の読み方も出来て、海外の日本製品に対する需要が顕著に高く、結果外貨が日本に流れ、輸出企業は外貨を邦貨にして日本国内で決済するので、円が買われ、「円高」になる。円高は貿易黒字を縮小させよう。
以上より、昨今の貿易黒字は、雇用が伸び悩み、株価が下がっていることから、日本国内の景気が下降気味で、結果(貯蓄)-(投資)がプラス、つまり貿易黒字が起こっているとも読める。
ただ、気をつけたいのは、上記(3)式は因果関係を表すものでない。だから、ほかのデータ・指標を用いて日本経済に何が起こっているのかを実証的に検証しなくてはならない。
結論としては、貿易黒字は日本の製品が外国でよく売れているというプラスの見方以外にも、日本の製品が国内であまり買われないというマイナスの見方もできるということである。貿易黒字が日本の経済・景気に良いかどうかは、その変動が過去日本経済にどのように影響したかを統計的に把握する必要がまずある。
最近(11月21日から22日)の記事。貿易黒字、雇用情勢の悪化、そして、株価の低落。さて、これらの事象はお互いに関連しているか?関連しているとすると、どのように関連しているのか?とりあえず、新聞記事を読んでから、考えてみよう。
(1) 財務省が21日発表した10月の貿易統計速報(通関ベース)によると、輸出額から輸入額を差し引いた貿易黒字は前年同月比66.1%増の1兆0186億円で、3カ月連続プラスとなった。中東やロシア向けの自動車輸出が好調に推移し、黒字拡大に寄与した。 輸出額は13.9%増の7兆5155億円。輸入額も原油価格の高騰で8.6%増の6兆4969億円となり、輸出入額ともに過去最高を更新した。 地域別の黒字額をみると、対アジアは携帯電話部品の輸出が伸び、59.5%増の7473億円と10月としては過去最高。対欧州は英国、フランス向け自動車輸出がけん引し51.4%増の4759億円となった。一方、対米は低所得者向け高金利型(サブプライム)住宅ローン問題の影響で自動車や建設機械の輸出が伸び悩み、8.5%減の7173億円と2カ月連続で前年を下回った。(時事通信)
(2) 内閣府は21日、27日に公表する11月の月例経済報告で雇用情勢の判断を下方修正する方針を固めた。8、9月の完全失業率が2カ月連続で悪化したことを受けたもので、下方修正は平成16年9月以来、3年2カ月ぶり。ただ、企業の設備投資が堅調で全体の基調判断は維持する。 雇用情勢では、3カ月連続の「厳しさが残るものの着実に改善」との表現を「このところ改善の動きが弱まっている」に弱める見通し。9月の完全失業率が前月比0・2ポイント悪化し、半年ぶりに4・0%となった。原材料価格の高騰などで中小企業の業績が低迷していることが背景にあり、個別判断を見直すことにした。 一方、企業の生産が一時の低迷から脱したことで、設備投資は堅調に推移しており、設備投資については判断を上方修正する方向で調整する。個人消費は、足元の消費者マインドは弱含んではいるものの、家計支出そのものは一定水準を維持していることから判断は維持する。ただ、失業率の上昇は消費に波及する懸念も強く、先行き不透明感が増している。 (産経新聞)
(3) 21日の東京市場では、米景気の先行きに対する不透明感が広がり、為替、株価、長期金利とも大荒れの展開になった。円相場は2年5か月ぶりに1ドル=108円台を付けた。 株式市場では日経平均株価(225種)の終値が1年4か月ぶりに1万5000円を割り込み、長期金利は2年2か月ぶりの低水準を記録した。 東京外国為替市場の円相場は一時、1ドル=108円80銭と2005年6月以来の水準まで上昇した。午後5時、前日(午後5時)比、1円29銭円高・ドル安の1ドル=109円11~14銭で大方の取引を終えた。 米連邦準備制度理事会(FRB)が20日、米成長率予測を下方修正し、米国の追加利下げ観測が広がったことから、円買い・ドル売りが加速した。 (読売新聞)
日本の昨今の貿易黒字の詳しい解説についてはココ(ただし、英語)。経済の構造は
(1) (所得)+(輸入)=(消費)+(投資)+(輸出)
が均等するように成り立っていて(政府部門は捨象)、左辺は経済の供給(つまり、国内及び海外で生産された商品・サービスの量)、右辺は経済の需要(国内で生産された商品・サービスの購買量)を表している。つまり、
(2) (供給)=(需要)
がマクロ経済的に成立していると考えても良い。ここで、
(所得)-(消費)=(貯蓄)
でもあるから、最初の式に代入すると、
(3) (貯蓄)-(投資)=(輸出)-(輸入)
が恒等的に成立する。これをISバランスとか、アブソープションとか言ったりするが、なぜか、これらの用語は近年の教科書にはあまり散見されない。
さて、この最後の恒等式が、今の日本経済を説明してくれる。
*恒等式と方程式の違いだが、例を挙げるとわかりやすい。方程式は、3X+1=4。恒等式は、3X+1=3(X+1/3) つまり、方程式のなかのXにどのような数字を入れても等式は成り立たないのに対して(X=1のとき、等式が成立)、恒等式は常に等式が成立する。恒等式の「恒等」とは「常に等しい」という意味である。
さて、貿易黒字のとき、すなわち、外貨による収入(輸出)が外貨による支出(輸入)よりも多いとき、
(輸出)-(輸入)>0
が成立し、このとき同時に
(貯蓄)-(投資)> 0
が成立している。さて、この上記の式は何を意味しているのか?
(4) (貯蓄)-(投資)=(供給)-(需要)
と読み替えることで、
(供給)-(需要)>0
が得られる。貯蓄は財を購入するための原資であり、この原資から、財を購入し、それで物を作るという投資を行う。上記の式がプラスとは、物を購入し、財を生産する投資需要が、貯蓄という資金供給に見合っていない、つまり、カネが余っている状態を言っているのである。*以上の不等式は貸付資金市場の不均衡を表している。ここで、
(貯蓄)-(投資)> 0
は、国内の需要が供給に比べて低いこと、カネが余っている経済の「不況」、「不景気」をあらわしているとも読める。こう読むと、同時にもう一方では
(輸出)-(輸入)>0
となり、「不況」を意味するとも読める。もちろん、別の読み方も出来て、海外の日本製品に対する需要が顕著に高く、結果外貨が日本に流れ、輸出企業は外貨を邦貨にして日本国内で決済するので、円が買われ、「円高」になる。円高は貿易黒字を縮小させよう。
以上より、昨今の貿易黒字は、雇用が伸び悩み、株価が下がっていることから、日本国内の景気が下降気味で、結果(貯蓄)-(投資)がプラス、つまり貿易黒字が起こっているとも読める。
ただ、気をつけたいのは、上記(3)式は因果関係を表すものでない。だから、ほかのデータ・指標を用いて日本経済に何が起こっているのかを実証的に検証しなくてはならない。
結論としては、貿易黒字は日本の製品が外国でよく売れているというプラスの見方以外にも、日本の製品が国内であまり買われないというマイナスの見方もできるということである。貿易黒字が日本の経済・景気に良いかどうかは、その変動が過去日本経済にどのように影響したかを統計的に把握する必要がまずある。
Thanksgiving!!
Thanksgiving, or Thanksgiving Day, is a traditional North American holiday to give thanks at the conclusion of the harvest season. Thanksgiving is celebrated on the fourth Thursday of November in the United States and on the second Monday of October in Canada.(From Wiki)
Sunday, November 18, 2007
Saturday, November 17, 2007
Break Time
Don't read, just listen!
##The Autumn Leaves.
The falling leaves drift by the window
窓辺に惑う
The autumn leaves of red and gold
金色の枯葉に、
I see your lips, the summer kisses
かの夏の日々の
The sunburned hand I used to hold
日焼けた手の君思ふ
Since you went away the days grow long
君去りし頃より、日長く覚えず、
And soon I'll hear old winter's song
来る冬の日々待たぬ
But I miss you most of all, my darling
嗚呼、何故君去らん
When autumn leaves start to fall
枯葉もまた散り去りぬ
(Japanese Translator: Taro)
Nat King Cole
Natalie Cole
Frank Sinatra
Bill Evans Trio
Eva Cassidy
Autumn Leaves
Tom Jones
Oscar Peterson
Niamh O'Leary
##The Autumn Leaves.
The falling leaves drift by the window
窓辺に惑う
The autumn leaves of red and gold
金色の枯葉に、
I see your lips, the summer kisses
かの夏の日々の
The sunburned hand I used to hold
日焼けた手の君思ふ
Since you went away the days grow long
君去りし頃より、日長く覚えず、
And soon I'll hear old winter's song
来る冬の日々待たぬ
But I miss you most of all, my darling
嗚呼、何故君去らん
When autumn leaves start to fall
枯葉もまた散り去りぬ
(Japanese Translator: Taro)
Nat King Cole
Natalie Cole
Frank Sinatra
Bill Evans Trio
Eva Cassidy
Autumn Leaves
Tom Jones
Oscar Peterson
Niamh O'Leary
Friday, November 16, 2007
Thursday, November 15, 2007
Monday, November 12, 2007
信じること、やさしさ、自由
アメリカに来て思ったのは、言語が違うだけで、こちらの人の人となりは日本とはそんなに違いはないように思われる。ただ、違うのは日本には人付き合いにおいて(島国根性からか)暗黙の了解というものがありうるが(例えば、知人から酒に誘われたら、私は同行しなければ、その場はまずいでしょう。)、こちらにはかなりドライな人付き合いが通例のようである(例えば、知人から食事の誘いがあっても、「ノーサンキュー、アイ ハヴ ア タスク」でその場は難なくやり過ごすことができそうである。)。
私はどちらかというと、人付き合いはドライでクールなほうが気が楽で安心するのだが、こちらの留学生の中にはこれが癪に障るらしい。
さて、最近熱心なキリスト教徒と話をする機会が持つことができた。こちらの修士の学生である。紳士的で、挨拶を心がける若いアメリカ人男性である。酒、タバコは一切しない。夜更かしをせず、常にパーティーの席では社交的に礼儀正しく振舞う。毎週日曜日は教会へ行き、聖書の言葉をことさら胸を張って語る。特に印象に残った彼の言葉は、「強固な人間関係を築くことが重要」なのだそうだ。
しかし残念なことに、正直、私はこれが理解できない。彼は本当に楽しいのだろうか?私はタバコはしないが、お酒は大好きである。ダウンタウンに連れて行ってもらったとき、歩行困難なほどかなり酔いつぶれてしまった。いい夜だった。異文化交流は時に休息を与えよう。また、パーティーの席へは行ったことがないが、毎週教会へ行くなら図書館で勉強したほうが学生としては理にかなっているように思われる。恋愛についても超まじめに語るのだが、退屈して聞いていられない。日本では恋愛は一種のセックスゲームだ。これは特に我々の若者文化の一つなのかもしれない。男の良し悪しは女との経験人数で決まる。実に簡単で、結構な話である。愛なんて飾りだ。要は、カネを持つものが勝者なのである。そして、女はカネに群がろう。女はカネで買えるのだ。カネの力を侮(あなど)ってはならない。資本主義社会では、カネは偉大なのだ。カネは権力なのだ。アメリカはまさにマネー(カネ)の国ではなかったのか?町を歩けば、浮浪者たちはカネ、カネ、カネといってくるではないか?日本では、このような事態はアイリン地区(大阪市西成区)ぐらいでしか見受けられないだろう。アメリカにはこのようなアイリン地区が日本以上に存在しているように思われる。そして、彼らほど、カネの力を知っているものはいないのかもしれない。
私は以上の感想を正直に彼に話した。すると、怒り始めた。自分はとにかく正しいのだそうだ。
実に教養のないご意見である。付き合いたくない人種である。実にうざい。自分が正しいと思うとき、他人は正しいとは思わないことがあることを知らなければならない。これは、世の中に正しいものがないということの表明ではない。正しいか正しくないかは、(数学の定理は別にして)最終的に自分が決めることなのである。つまり、それは個人の自由なのだ。
確かに、信じるものは救われるのかもしれない。しかしながら、ダウンタウンの貧しい黒人たちは信じないから救われないのだろうか?また、彼らが愚かだから救われないのだろうか?アイリン地区の浮浪者たちは毎朝酒に酔いつぶれ、訳のわからない言葉を吐き散らしている。彼らもまた信じないから、救われないのだろうか?馬鹿だから救われないのだろうか?そして、その隣の地区には、優雅で妖艶な飛田新地(リンクは古今東西風俗散歩さんから)がある。まさに、女とカネがひしめき合い、欲望とカネの渦巻いているのである。
とある女性人権団体の人間は、これを男性社会が作り出した「女性の商品化」などといって男性である私を批判したことがあるが、こちらでは、女がまさに商品として男に買われる世界である。この馬鹿女に眼(まなこ)を見開いて飛田を見てこい、と言いたくなったが、これは紳士的な態度ではない。70年来、この風景は変わらないというある老紳士の意見。これはまさに買い手の男性が作り出した世界なのかもしれない。しかしまた、これは、女を売る売り手の女性の存在があってのことではないか?需要は供給を作る。同時に性(!?)の法則は、供給が需要を作るといっているのではないか?(セイの法則をもじって・・・) まさに、現実の資本主義社会の縮図ではないか?
アイリン地区では、冬になると名もなき凍死体がごろごろ出てくる。遺体を安置している、そこのとある教会の修道尼はただ黙って安置所を眺めていたのを私は強い印象を持って記憶している。誰がこの状況を救えるのだろうか?教会の人々だろうか?まことに教会の人々のアイリン地区での献身的な活動に対して私はまずは真摯な敬意を表さなくてはならないが、彼らの力はすごく限られていることは言うまでもない。またそこで活躍するNPO(非営利団体)の人々の働きも限られている。労働組合の取り組みも最後は「お上が何とかしろ」との大合唱である。
結局状況を救えるのは経済の力、カネなのである。アイリン地区の浮浪住人に雇用の機会を与える政府ではない民間営利団体の営利活動こそが、唯一の救いなのである。大阪市の取り組みもある程度評価できようが、莫大な税金を浮浪者対策に使っているのは、他の納税に務める勤労者にとってフェアではない。(昼間に市の役人が浮浪住人にパンを与えている光景はさすがに見ていてつらいが、これはその場しのぎに過ぎない。)
一部の教会の人のいう神の力も、社会党や共産党のいう政府の力も結局のところ万能ではない。アイリン地区の浮浪住人や、飛田の芸妓たち、そして我々自身にとっての唯一の救いは、信仰でもなく、政府でもない。まさに確かな雇用そのものなのである。
また、思いやりややさしさも人を救う有効打ではない。人を救えるのは、経済の力、カネの力しかないと言い切っても欠点は免れよう。「お兄ちゃん、優しすぎるで。それでは、世の中渡り合っていかれへんで。」ととある老婦人は私を叱咤した。情は人のためにならないこともありそうである。人を思いやる時間があるなら、その分働いてカネ稼いで、そのカネを恵んでくれや。これが今ある現実と言うものである。女がほしけりゃ、カネもってこい。まさに、女は憧れという名の虚飾、カネは現実という名の虚構なのだ。人を救うも救われるも、資本主義社会においては個人の選択の自由なのだ。もし、人を救いたければ、政府ではなく、己が腹を切れ。もし、自分を救いたければ、いい職を見つけて、カネを稼いで来い。これが道理というものである。死ねも生きるも自分次第なのだ。
しかしながら、そんな世界にこそカネでは買えない何か大切なものがあると信じたくなるのも、人情というものであろう。教会の人も、共産党の人も、崇高な志を胸にNPOに従事する人も、そして高い希望を持つ奇特な青年諸氏も、結局はそのありかを追い求めてやまないのかもしれない。そして、それは実にありがたいことであるといえよう。そして同時に、これこそが我々にとっての大きな不幸のひとつなのかも知れない。そして、もしこれが不幸であるとすれば、これほどの喜劇もないようにも思われる。
実にくだらないことを書き連ねたが、信じることもやさしさも最後は個人の選択の自由なのだ。他人から強制されるものではないと思う。どうぞ勝手にやってくれや、と。
私はどちらかというと、人付き合いはドライでクールなほうが気が楽で安心するのだが、こちらの留学生の中にはこれが癪に障るらしい。
さて、最近熱心なキリスト教徒と話をする機会が持つことができた。こちらの修士の学生である。紳士的で、挨拶を心がける若いアメリカ人男性である。酒、タバコは一切しない。夜更かしをせず、常にパーティーの席では社交的に礼儀正しく振舞う。毎週日曜日は教会へ行き、聖書の言葉をことさら胸を張って語る。特に印象に残った彼の言葉は、「強固な人間関係を築くことが重要」なのだそうだ。
しかし残念なことに、正直、私はこれが理解できない。彼は本当に楽しいのだろうか?私はタバコはしないが、お酒は大好きである。ダウンタウンに連れて行ってもらったとき、歩行困難なほどかなり酔いつぶれてしまった。いい夜だった。異文化交流は時に休息を与えよう。また、パーティーの席へは行ったことがないが、毎週教会へ行くなら図書館で勉強したほうが学生としては理にかなっているように思われる。恋愛についても超まじめに語るのだが、退屈して聞いていられない。日本では恋愛は一種のセックスゲームだ。これは特に我々の若者文化の一つなのかもしれない。男の良し悪しは女との経験人数で決まる。実に簡単で、結構な話である。愛なんて飾りだ。要は、カネを持つものが勝者なのである。そして、女はカネに群がろう。女はカネで買えるのだ。カネの力を侮(あなど)ってはならない。資本主義社会では、カネは偉大なのだ。カネは権力なのだ。アメリカはまさにマネー(カネ)の国ではなかったのか?町を歩けば、浮浪者たちはカネ、カネ、カネといってくるではないか?日本では、このような事態はアイリン地区(大阪市西成区)ぐらいでしか見受けられないだろう。アメリカにはこのようなアイリン地区が日本以上に存在しているように思われる。そして、彼らほど、カネの力を知っているものはいないのかもしれない。
私は以上の感想を正直に彼に話した。すると、怒り始めた。自分はとにかく正しいのだそうだ。
実に教養のないご意見である。付き合いたくない人種である。実にうざい。自分が正しいと思うとき、他人は正しいとは思わないことがあることを知らなければならない。これは、世の中に正しいものがないということの表明ではない。正しいか正しくないかは、(数学の定理は別にして)最終的に自分が決めることなのである。つまり、それは個人の自由なのだ。
確かに、信じるものは救われるのかもしれない。しかしながら、ダウンタウンの貧しい黒人たちは信じないから救われないのだろうか?また、彼らが愚かだから救われないのだろうか?アイリン地区の浮浪者たちは毎朝酒に酔いつぶれ、訳のわからない言葉を吐き散らしている。彼らもまた信じないから、救われないのだろうか?馬鹿だから救われないのだろうか?そして、その隣の地区には、優雅で妖艶な飛田新地(リンクは古今東西風俗散歩さんから)がある。まさに、女とカネがひしめき合い、欲望とカネの渦巻いているのである。
とある女性人権団体の人間は、これを男性社会が作り出した「女性の商品化」などといって男性である私を批判したことがあるが、こちらでは、女がまさに商品として男に買われる世界である。この馬鹿女に眼(まなこ)を見開いて飛田を見てこい、と言いたくなったが、これは紳士的な態度ではない。70年来、この風景は変わらないというある老紳士の意見。これはまさに買い手の男性が作り出した世界なのかもしれない。しかしまた、これは、女を売る売り手の女性の存在があってのことではないか?需要は供給を作る。同時に性(!?)の法則は、供給が需要を作るといっているのではないか?(セイの法則をもじって・・・) まさに、現実の資本主義社会の縮図ではないか?
アイリン地区では、冬になると名もなき凍死体がごろごろ出てくる。遺体を安置している、そこのとある教会の修道尼はただ黙って安置所を眺めていたのを私は強い印象を持って記憶している。誰がこの状況を救えるのだろうか?教会の人々だろうか?まことに教会の人々のアイリン地区での献身的な活動に対して私はまずは真摯な敬意を表さなくてはならないが、彼らの力はすごく限られていることは言うまでもない。またそこで活躍するNPO(非営利団体)の人々の働きも限られている。労働組合の取り組みも最後は「お上が何とかしろ」との大合唱である。
結局状況を救えるのは経済の力、カネなのである。アイリン地区の浮浪住人に雇用の機会を与える政府ではない民間営利団体の営利活動こそが、唯一の救いなのである。大阪市の取り組みもある程度評価できようが、莫大な税金を浮浪者対策に使っているのは、他の納税に務める勤労者にとってフェアではない。(昼間に市の役人が浮浪住人にパンを与えている光景はさすがに見ていてつらいが、これはその場しのぎに過ぎない。)
一部の教会の人のいう神の力も、社会党や共産党のいう政府の力も結局のところ万能ではない。アイリン地区の浮浪住人や、飛田の芸妓たち、そして我々自身にとっての唯一の救いは、信仰でもなく、政府でもない。まさに確かな雇用そのものなのである。
また、思いやりややさしさも人を救う有効打ではない。人を救えるのは、経済の力、カネの力しかないと言い切っても欠点は免れよう。「お兄ちゃん、優しすぎるで。それでは、世の中渡り合っていかれへんで。」ととある老婦人は私を叱咤した。情は人のためにならないこともありそうである。人を思いやる時間があるなら、その分働いてカネ稼いで、そのカネを恵んでくれや。これが今ある現実と言うものである。女がほしけりゃ、カネもってこい。まさに、女は憧れという名の虚飾、カネは現実という名の虚構なのだ。人を救うも救われるも、資本主義社会においては個人の選択の自由なのだ。もし、人を救いたければ、政府ではなく、己が腹を切れ。もし、自分を救いたければ、いい職を見つけて、カネを稼いで来い。これが道理というものである。死ねも生きるも自分次第なのだ。
しかしながら、そんな世界にこそカネでは買えない何か大切なものがあると信じたくなるのも、人情というものであろう。教会の人も、共産党の人も、崇高な志を胸にNPOに従事する人も、そして高い希望を持つ奇特な青年諸氏も、結局はそのありかを追い求めてやまないのかもしれない。そして、それは実にありがたいことであるといえよう。そして同時に、これこそが我々にとっての大きな不幸のひとつなのかも知れない。そして、もしこれが不幸であるとすれば、これほどの喜劇もないようにも思われる。
実にくだらないことを書き連ねたが、信じることもやさしさも最後は個人の選択の自由なのだ。他人から強制されるものではないと思う。どうぞ勝手にやってくれや、と。
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