デリバティブスと大阪商人の知恵
阪大経済学部第5回OFC講演会
大阪大学大学院経済学研究科 仁科 一彦教授
...20世紀最大の経済学者の一人であるサムエルソンが、その弟子に、「将来価格が確率現 象である状況において、派生契約を結び、市場で取引した場合に、一体、いくらの値段がつくのか?」を、博士論文のテーマとして提案しました。これに対し て、マートンは70年頃のことですが、「こう考えればいいのではないか」といったフレームワークを示しました。その後73年に、ブラックとショールズが、 将来の価格動向が、アインシュタインの考えたブラウン運動(生物の細胞内での分子の動きを数学的に表現した方程式)をする、そういう前提のもとで、派生契 約を市場で取引したときに、需要と供給が一致したところで値段が決まるといった経済のロジックを入れると、こうなるはずだ、と発表しました。この73年 は、偶然にも、シカゴの市場でオプション取引が実際に開始された年でもあったわけですが、以来、アメリカでは、オプションと先物は重要な取引となっていま す。
20世紀最後の25年間の間に、経済学は大きく塗り替えられ、先物、オプションあるいはスワップといった用語のない教科書はなくなってしまいました。市 場経済は計画経済に比べ資源が効率的に利用でき、たとえ現実にリスクや不確実性がある経済であってもやはり市場経済がいいと論理的に証明されたのは60年 代のことです。ここで登場したのがデリバティブスでした。つまり、リスクをヘッジすることができ、それによってリスクのない状態に導くことのできるデリバ ティブスの契約さえ利用可能であれば、市場メカニズムがベストの経済体制であるということが証明されたわけです。
また従来の経済学では、価格が高い・低いという相対価格なら自信はあるが、絶対価格を示すことはできませんでした。ところが、デリバティブスの世界は全 く異なっていて、商品の将来価格がブラウン運動をすると仮定すると、この仮定がいいかどうかは別として、この仮定さえ認めると、ある種の契約の値段はこれ これいくらになるというふうに、絶対価格を示すことができるのです。当然、これを金融や為替の世界だけに留めておく手はありません。事実、今では、ビジネ スの幅広い分野で生ずる様々な不確実性やリスクをコントロールするために、先物やオプションの考え方が利用されています。
さて、このようなデリバティブスのルーツは一体どこにあると考えられているのでしょうか。諸説がありますが、今では、堂島にあるというのが共通認識に なっています。18世紀後半の堂島で、帳合米という現物ではなく帳面上で決済する取引が始まりましたが、帳面の上での決済であれば、先物も取引できること になります。これが先物取引のルーツとされています。堂島の米商人の考えたシステムの見事さ、完成度、規模からみて、堂島にまさるものはないといえるで しょう。米の取引が当時の日本経済を左右する重要なものであったと同時に、大阪商人が商取引の合理性を追求し、その他のこと、例えば、政府の権力といった ものは考えずに、その追求を押し進めたことが、それを可能にしたのだと思います。ちなみに、本学の宮本教授の研究によると、堂島の米商人が考えた帳合米制 度の導入前と導入後では、明らかに米の価格変動が小さくなっているとういことです。18世紀後半といえば、アダム・スミスが国富論を書いた時代ですが、そ の時代に、極東の日本で、スミスも想像しなかった米の先物取引が行われ、それが価格に反映されていたということは、まさに誇るべきことではありませんか!
日本経済にとって、今後、デリバティブスをどう考えればよいのでしょうか。最後に、この点をみておきましょう。今後、デリバティブスが縮小することは、 ありえないと思います。デリバティブスという便利な道具を知ってしまえば、通常の道具として使われようになるのは間違いないからです。ただ、そのために は、デリバティブスのアイデアやデザイン料を決める、いい市場が用意されていなければなりません。ここ10年、元気がないとはいえ、日本市場は、やはり規 模の大きさと経験、自由な経済という点からみても、デリバティブス取引の中心になる資格が備わっています。世界中のどこの市場であれ、自分にとって都合の よい契約を、より安い値段で取引してくれるところであればいいわけです。世界の中で、日本のマーケットがより透明性をもって、より拡大していくことを期待 しており、このことは、ルーツをみても、大阪商人のより合理性を追求する姿勢をみても十分に可能であると考えています。
経済の身近なテーマを一般に公開するOFC講演会は私に経済を考えるヒントをくれています。
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