Sunday, July 30, 2006

金融政策と公定歩合(1)

中学校の教科書を目にする機会がある。世間では、日本の金融政策についての関心が強い。そこで、日本銀行の役割がどのように教えられているのかを見てみた。すると、教科書の中の囲み記事が気になった。

「日本銀行は、公定歩合を上げ下げすることなどによって、資金の供給を調整することができます。景気が悪いときには、公定歩合が引き下げられます。最近の公定歩合は戦後最低の水準となっています。」
中学校社会科用『新編新しい社会 公民』東京書籍、2006、pp.121

何のことはない。私もかつてそのように教わった。しかし、実際には、公定歩合の上げ下げによる資金量の調節が行われてはいない。

日本銀行は、1995年3月「金融調節(日銀の市中銀行への貸し出し)の基本的な指標を、公定歩合から無担保コール翌日物金利(※1)に変更」した。ここから、日銀は1996年1月に「公定歩合による金融調節、日銀貸し出しを行わない」と表明したのである。これ以来、日本銀行の金融政策にとって最重要の政策金利であった公定歩合は影を潜めている。

そもそも、公定歩合とは、日銀が民間の金融機関(市中銀行)に資金を貸し出す際の金利を指し、金融関係者は「マル公」と呼んでいる。しかしながら、日銀法には、「公定歩合」という表記はなく、「手形の割引にかかる基準となるべき割引率、貸付にかかる基準となるべき貸付利率」が正式名称である。

日銀の金融政策の手法には3種類ある; ①金融機関への資金貸出操作、②金融機関との間で債券や手形を売買する公開市場操作(マーケット・オペレーション)、③市中銀行の日銀に預け入れている預金残高の割合である預金準備率(支払い準備率)の操作、である。

そのうち、公定歩合の上げ下げによる金融調節は①の手法に当てはまり、公定歩合を上昇(下落)させると、市場に出回るお金の量を減らす(増やす)ことができる。公定歩合の上げ下げは、預金金利をはじめ市中金利の動向を大きく左右し、日銀の金融政策の方向を市場に告げる効果(アナウンスメント効果と呼ぶ)が大きい。したがって、日銀の政策金利としてのイメージは大きかった。

しかし、現在の日本銀行は、公定歩合操作よりも金融機関同士が資金をやり取りする短期金融市場(これをコール市場と呼ぶ)の金利であるコール・レート(※2)の操作により、金融を調節している。7月14日に日銀の政策委員会・金融政策決定会合で、「ゼロ金利政策」を解除したときの「ゼロ金利」とは、公定歩合のことではなく、短期金融市場(コール市場)における誘導目標金利であるコール・レートのことである。

ここから先は「金融政策と公定歩合(2)」に続く・・・。

※1 無担保コール翌日物金利・・・・・翌日の決済で資金をやり取りする際の金利のこと。※2の超短期のコール・レートの一種。

※2 コール・レート・・・・・資金不足の銀行が資金余剰の銀行から資金を借り入れる際の金利のことで、銀行間で電話(コール)によりやり取りすることからそう呼ばれている。コール・レートが下がると、資金不足の銀行が資金を借りやすくなり、企業や個人への貸出しが増える。コール・レートをゼロに近い値に誘導する金融政策をゼロ金利政策と呼んでいる。

上記ブログの内容は、読売新聞「なるほど! 経済」2006.7.19.を参考文献として、一部引用されている。

Saturday, July 29, 2006

日本的経営と経済格差

日本国民の経済格差の拡大に関する議論が絶えない。世帯の所得格差を示す指標「ジニ係数」は1980年以降上昇しているからだ。(※1)


 その理由として、政府は①もともと所得格差の大きい高齢者が増加していること、②所得が比較的少ない単身世帯が増えたこと、を挙げている。政府は、日本は食料などの生活必需品が調達できない「絶対的貧困」の割合が先進国の中で最も低いことから、格差社会化していることを否定している。私はこの見解をおおむね正しいと見ている。

しかしながら、前回のブログにおいて指摘したとおり、正規雇用者が減少する一方、派遣社員やアルバイトなど非正規雇用者が増加していることは、労働者に職能・技能が蓄積されないため、社会的に大きな問題である。企業は非正規雇用者への教育訓練への意識が低く、多くの非正規雇用者は自ら非正規社員の道を選んでいると考えている。

非正規社員が増えたことに対して、本人の意思決定以外に、企業経営を取り巻く市場経済の競争環境が大きく変わったことも指摘されている。終身雇用制などの「日本的経営」(※2)は、従業員や取引先などと長期継続的な関係を大切にし、長期的な利益を拡大していくという文化の総称であったが、日本の企業経営が短期利益の追求、株主重視の方向へ変化しているといわれている。

この点について、2006年度の経済財政白書は面白いことを指摘している; 従業員が利害関係者、ステークホルダー(※3)として重要だと答えた企業は、ROA(※4)が高い傾向にある、というのである。終身雇用制による優秀な人材の確保・蓄積は企業の国際競争力を高める要因だと考えているらしい。しかしながら、これはROAが高い企業ほど、従業員を大切にできるだけの余裕があるとも考えられる。従業員を大切にするからROAが高いのか、それともROAが高いから従業員が大切にされるのか判然としないものの、従業員、正規雇用の重要性を認識している企業は多い。

業務に対して責任と気概を持ち、幅広く仕事の内容を知り、業務を遂行・行動できるのは正規社員である。社会的に非正規雇用が増えていることが、必ずしも企業が正規雇用を不要だとは考えている証左ではない。業務や職種によりけりで、正規社員を増やしたいと考えている企業も多い。景気が回復する中、正規社員が増えることが予想されよう。

日本は格差社会だと言われて久しい。これは企業の人事戦略の責任ではなく、むしろ企業を取り巻く市場競争の激化、市場の環境変化によるものである。その中で、多様な職種・業種の誕生によるところが大きいのかもしれない。私は、すべての社員が正規社員であるべきだと考えられるべきでなく、多様な働き方がありうるように、現行の税制、年金、社会保険などの制度改革をすべきだと考えている。

※1 ジニ係数・・・・・イタリアの統計学者コラッド・ジニが考案した、所得格差の程度を示す指数。全世帯の所得が完全に平等なら0で、完全に不平等なら1である。1に近づくほど所得の格差が拡大していると考えられている。

※2 日本的経営・・・・・日本企業の代表的な特徴として、入社してから定年退職するまで働き続ける「終身雇用」、長く勤めれば勤めるほど賃金が上昇する「年功序列賃金」と多くの欧米諸国では産業別に労働組合が組織されている中、日本企業は企業別に労働組合が組織されている「企業別労働組合」の3つである。従業員の企業への帰属意識が強く、労使協調路線の経営ができることに特徴を持つ反面、外部の監視による規律が働きにくいという問題がある。

※3 ステークホルダー・・・・・ステークホルダーとは企業活動を行う上で関わるすべての人のことを言う。株主、顧客、地域住民、官公庁、研究機関、金融機関、そして従業員も含む。今後、企業はステークホルダーとコミュニケーションをとり、ともに成長し利益を実現していく必要があると言われている。

※4 ROA・・・・・総資産に占める税引き後利益の割合。企業が保有資産をどれだけ効率的に使ったかを示すとされている。

Thursday, July 27, 2006

よい教師、よい学習塾

学習塾で仕事をさせてもらう中、改めて私はよい教師について考えるようになった。 学習塾は公立の学校とは違い、利益を上げるため、まずなによりも顧客(生徒)を集めなければならない。それゆえ、学習塾では生徒への「教育」というよりも、生徒の成績を上げるため、あるいはいい学校に入るための「テスト勉強」に力が入れられる。学習塾の業績が、生徒がいかに高い成績を収め、よい学校、名門校に入るかにかかっているからだ。

しかしながら、近年の「少子高齢化」社会において、以前に比べ、いい学校は入学しやすくなっている。よって、さほど勉強する必要はなく、大学へはもはや誰でも入学できる。こんな時代において、学習塾の役割は、生徒にテストに合格する技術をつけることから、「普段の学習の予習、復習」をさせることにシフトしているようである。これからの学習塾は、生徒を獲得することが難しくなると予想され、競争も激しさを増すものと考えられる。

学習塾を取り巻く環境は厳しくなる中、学習塾の最も重要な経営資源である「教師」はいかなる資質が求められるのだろうか? 話がわかりやすく、面白く、飽きさせない人気者教師なのか? 確かに生徒は面白い教師を求めている。しかし、生徒の視点で教師は選ばれるものではないと私は考えている。なぜなのか。

これはおかしな考えかもしれない。商品は消費者に評価されるべきではないといっているからである。しかし、ここにおいても、商品は消費者に評価されるべきでないときがあるのである。それは、商品の特性を知らない消費者が商品を評価するときである。商品はその特性を知る消費者によって評価されなければならない。添加物の多い、おいしいレトルト食品が世の中で高く評価されるようになれば、不健康な国民が増え、社会的観点から見て好ましくない。

同じように、学習塾の内容を知る者、教師の資質を知る者によって、学習塾や教師が評価されなければならない。たとえ、生徒に高く評価される、わかりやすい講義をする教師でも、もしかするとその講義はわかりやすさを求めるあまり、うそとごまかしが多く含まれているかもしれない。実際わかりやすい教科書にはごまかしが多い。論理よりも、直感が重視され、言葉よりも見た目が重視される傾向が強いからだ。これでは、見た目だけで判断し、考えない人間がたくさん増え、選挙においてよい候補者が選ばれないなど社会的に見てもよくないことがあるだろう。

世の中には「わかりやすいこと」よりも、「わかりにくいこと」が多い。生徒はおろか、教師ですらわからないことは多い。生徒が少なくなり、学校へ入りやすくなった今の時代、学習塾はわかりやすい教師ではなく、今の世の中が「わかりにくいこと」だらけであることを素直に教える真摯な教師を求めているように考えている。

学習塾は生き残るため、公立の学校には提供できない補完的な「価値」を提供しなければならない。学習塾に提供できる、最も求められる「価値」は、「わかりにくいこと」と戦う生徒とともに一緒になって戦う教師であり、教育である。これは、公立学校では提供されにくい価値であろうし、幅広く市民の教育に資することを目的とする公立学校とも補完的である。学校では「わかりにくいこと」を教えることは、すごく時間と労力のかかることだからである。

だからこそ、いい学校に入るための技術だけではない、「わからないこと」と向き合う技術の価値が大きくなる。いい学校に入るための技術はもはや陳腐化している以上、世の中いかに「わかりにくいこと」が多いのかを教え、「わかりにくいこと」とどのように向き合い、付き合うのかを教えることこそ、今の時代に最も求められているように思う。

Tuesday, July 25, 2006

天神祭

今日7月25日は、天神祭り本宮である。天神祭りのクライマックスである。私を含めた大阪人は「天神さん」の愛称でそれを呼ぶ。去年私は天神祭を生まれてはじめて肉眼で見た。

その印象は、夕闇に照らされ、たゆたう妖艶な灯火、遠くからかすかに、そして時に強く木霊する太鼓囃子は、躍動感の中にも静けさと清涼、落ち着きと癒しの空間をわれわれに与えるようであった。大阪市内では御堂筋パレードよりも、本格的で、大規模な市民のお祭りである。大阪に来られるなら、一度天神祭を見に来て欲しい。

大阪各地だけをとってみても、祭りは多い。秋に行われる岸和田のだんじり祭も大阪を代表する祭りで、天神祭に負けずかなり煌びやかで躍動感に満ち溢れる。毎年死者がでるくらいである。

さて、祭りは、神への感謝、豊穣への祝福という意味合いがたいてい込められているが、経済学的に見れば、お祭りはいったい何なのか? こんな疑問がうっすら頭をよぎる。

ずばり言うと、お祭りは地域経済への需要刺激策の一環ではないかと私は考えている。かつて、90%以上の国民が農民だったころ、農民にとって一番の不幸は、天候不順による作物の不作(供給不足)だった。それは、まさに死活問題で、あってはならないことだった。

逆に、好天による作物の豊作(超過供給)もいいことばかりではなく、農作物の価格を暴落させ、農民の生活を貧しくさせた。このとき、地域の需要を刺激することで、余った作物を消化させる必要があった。
需要が低迷したとき、需要を活性化させる一大イベント(現代のようにダムや高速道路、ビルを建築するような)は農民社会にはなかった。そこで低迷した需要を刺激させるため、米を炊き、酒を大量に持ち、魚や野の惣菜を作り、法被を仕立て、山車や神具を作ったりなどなど、することで地域の米屋、酒屋、魚屋、大工などへの購買量を拡大させ、それが地域の流通に関わる商人、町人を潤し、波及的に生産者であり消費者である大多数の農民を潤した。

以上は私の推察であるが、地域のお祭りには地域の需要を活性化させる「ケインズ政策」の意味合いがあったのかもしれない。お祭りは豊作時の景気を刺激し、すべての人を潤し、神へ豊穣を感謝する幸いを与えた。お祭りは天候のほかに、地域の景気変動の大きな要因ではなかったのだろうか。

Saturday, July 22, 2006

風俗散歩

ネットサーフィンをしていたら、私はいいブログを見つけた。古今東西風俗散歩といい、地域の風俗街と風土を記録したブログである。その視点、角度がいい。

失われつつあるレトロで寂れた情景を写真に収め、地域の文化風俗、事情を記録していくという日記の形に私は現代の永井荷風の姿を見た気がする。

このブログを見ていて、私たちが何気に見ている近隣の情景も視点を変えてみると、その地域が辿ってきた道のり、地域の人々の暮らしとその歴史的背景を窺い知ることができるかもしれない。

金融緩和と少子高齢化

先日公表された2006年度の経済財政白書によれば、日本経済はデフレを脱しつつあるという。日本経済は「平時」の状態に戻りつつあるというが、ここで一つの疑問に直面する。

金融緩和政策により、日本はデフレから克服できたのであろうか? 

そもそも金融緩和政策とはいかなる政策なのであろうか? 金融政策を行う日本銀行が、国債市場で市中銀行(民間の銀行ことで、街中にある銀行を思い浮かべればよい)から国債を買い、その代金を支払うことが「金融緩和政策」と呼ばれるものである。この政策は経済が不況期のとき、デフレ時に実施される。
以上のように、市場から国債を売買する政策を「マーケット・オペレーション」といい、国債を買う政策を「買いオペレーション」、売る政策を「売りオペレーション」という。

一般に売りオペレーションは、金融引締政策のことであり、好景気のときにインフレを退治するときに行う。
ここでよく言われる疑問が一つある。

金利を上げ下げする政策と、上記で述べた金融緩和ないし引締政策とはまた違うものなのであろうか?

結論から言うと、同じことを別の角度から言っているに過ぎない。つまり、金利を引き下げることは、金融緩和をすることなのである。国債市場で国債を買うことで、市場にお金が沢山流れる。このことにより、国債の価格が上昇し、国債の金利は低下する。国債の金利が低下することで、他の金利も連動して低下する。これは、金融緩和で市場により沢山のお金が回ることで、資金市場での貸出金利が低下することを意味する。よって、資金を提供する人、つまり預金者(債権者)にとっては、金利が低くなることで預貯金が有利な資産運用ではなくなる一方、資金を借りる人、債務者にとっては金利が低くなることで借入が有利になる状況が生まれるのである。

お金が沢山経済に流れることは、経済にあるモノとお金の量とを比べた場合、お金の量が多くなることになり、お金の価格である「金利」が低下するのである。これが金融緩和が経済に与える影響である。[問;逆に金利の上昇、金融引締めのときはどのように経済に影響するのか?]

預金者(債権者)にとって、金利が低くなることで預貯金が有利な資産運用ではなくなる一方、資金を借りる人、債務者にとっては金利が低くなることで借入が有利になる状況は、まさにこれまでのデフレ下の日本経済の状況であった。俗に言う「低金利」は金融緩和によりもたらされたものであるといってよい。しかし、債務者がよりお金を借りやすくなったとはいえ、経済全体ではお金を借りる人が少ないために、より一層の低金利の状況を作り出した。これを資金需要の低迷という。このため、金利が下がっても、借金をして消費や投資を増やす個人や企業はあまりいないため、経済の需要面が刺激されることはなかったのである。では、なぜ金利が下がっても人は消費や投資を増やさなくなったのであろうか? 金利の低い今、将来金利と物価が上昇するだろうといわれる今こそ、借金はより有利な資産選択であるというのに・・・。

現在の低金利は金融緩和という人為的な結果であると同時に、少子高齢化、すなわち若い勤労世代の将来の年金や社会保障に対する不安という自然発生的な結果でもあるという見方を採用すれば、資金需要の低迷が説明できる。つまり、将来不安は今お金を使うことをあきらめ、将来の生活のため、老後のためさらに預貯金を増やしているのである。金融緩和、そして国民の将来不安の両方が現在の低金利、強いては需要の低迷するデフレ経済を作り出しているのである。

では、この観点から、ここで最初の問題に戻る。金融緩和はデフレを退治すること、克服することはできるのか?

答えは、いいえ、である。確かに、デフレ時には金融緩和を実施することにより需要の更なる低下を抑止することができ、需要の拡大をも促しうる。しかし、それだけでは足らず、需要の低下する昨今のデフレ経済には、現在の消費を低下させている将来不安を取り除く社会保障制度改革が必要である。
将来の社会保障を守るためにその財源を消費税の増税で賄おうとする、昨今の政策論議も需要の低下する経済に対する対応になりうる。真剣に将来のことを考える為政者なら、消費税の増税は将来不安を取り除く、将来の社会保障をより強固なものにする政策であるため実施しなければならない。だが、消費税を仮に上昇させるのであるなら、消費税からの税収がどのようなかたちで社会保障に使われているのかを明瞭にさせなければならない。ただでさせ、税金の無駄遣いが指摘されている中、更なる増税は更なる無駄遣いにも見えるからである。そのため、消費税の増税と歳出削減はセットで取り組むべき課題である。歳出削減は一般的に経済の需要にマイナスの効果があるとされるものの、それが将来の社会保障をよりよいものにするという事前のアナウンスがあれば、今経済にとってマイナスでも将来の経済発展を促進するであろう。

金融緩和はデフレを退治する力を持つが、さらに需要を拡大させるには政府による社会保障改革がより大きな力になりうるのである。

Thursday, July 20, 2006

金融政策は経済に効くか?

日本銀行の「ゼロ金利解除」により、日本の金融政策は大きな転換点を迎えることになった。ゼロ金利解除で、銀行預金や住宅ローンなどの金利は上がるという。総体的に見て、金融政策は経済にいかなる影響をもたらすのか? 気になるところである。

かつて、アメリカの経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスは「金融政策は魔術的である」という名言を残した。この名言のとおり、確かに、金融政策が経済に与える影響は目に見えるものではなく、あまりはっきりとしない。


それゆえ、金融政策は経済学の中でも、特に金融論、マクロ経済学において専門的に批判検討される、非常に興味深いテーマでありうる。

金融政策が経済活動、景気ににどのような影響を与えるのかについて、経済学者の間で意見が割れている。金融政策は経済に限定的にしか影響しない、という学者もいれば、金融政策は経済に大きな影響を与える、という学者もいる。私の考えによれば、前者は大阪大学の小野善康氏である。後者の代表は、学習院大学の岩田規久男氏である。

金融政策が経済、特に景気に与える影響を考える上で、両氏の見解は注目に値する。私は岩田氏にお会いしたことはないが、小野氏とは1年間阪大でお世話になった、指導熱心で、経済理論に厳格な私の恩師である。

※小野氏は『景気と経済政策』、『景気と国際金融』、岩田氏は『金融 第2版』、『国際金融』という書籍を岩波書店(岩波新書)からそれぞれ著している。私は全部の本を一応読んでみたが、小野氏の本はどちらかというと難易度の高い理論の説明に徹底し、岩田氏はどちらかというと制度的な側面の解説に終始している。

小野氏は(私の知る限りでは)、金融政策は景気、つまり消費や投資といった経済の需要面に短期的に影響を与えるが、長期的には経済に何ら影響をもたらさないという。対照的に、岩田氏は、金融政策は経済に大きな影響を短期的に与え、その効果は長期的にも持続するという。

小野氏は、景気の悪いとき、金融緩和(経済にお金をばら撒くこと)を景気対策として実施することにより、手持ちのお金の価値が増え、短期的には消費や投資を刺激する。(このような効果をイギリスの経済学者の名をとり、ピグー効果と呼んでいる。)しかし、金融緩和により、物価が上昇し、手持ちのお金の価値は目減りする。結局お金の価値は金融緩和する前に戻ってしまう。このことにより、消費や投資は増えなくなる。つまり、金融政策はお金の価値を膨らませただけのバブルを作り出すに過ぎないのである。当然経済には影響を与えることがないという。金融政策は物価の安定のみを目指せばよいのである。

それに対して、岩田氏は景気の悪いときに金融緩和を実施すると、消費や投資を刺激し、所得や雇用を増やすという。(これをケインズ効果と一部呼んでいる。)ここまでは、小野氏の見解と変わらない。しかし、岩田氏は、雇用の増加は、失業者に職を与えることであり、職務を遂行する上で必要な知識・技能を与えることに繋がり、人的な資本の形成、つまりキャリアアップに寄与するという。人的資本の形成は、長期的に見て、経済の供給面、すなわち効率的な生産活動に貢献する。よって、金融政策は雇用を刺激する点で、短期的にのみならず、長期的にも経済に影響するという。金融政策は物価のみならず、景気の安定化をも達成せねばならないのである。

さて、どちらの意見に分があるだろうか? 小野氏か、岩田氏か? 不況期に、失業者に雇用を与え、人的資本の形成を促進することは、小野氏も幾度か強調している点である。そして、小野氏は、不況期には、日本銀行が行う金融政策ではなく、政府財務省が行う財政政策、特に公共事業により失業者に仕事を与えるべきであるという。
もともと財政の出動により、景気を回復させ、雇用を拡大するという政策は、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズにより唱えられたものであり、このような考え方を一般にケインズ政策、ケインズ主義(ケインジアン)と呼んでいる。

小野氏は人々にとって価値ある有用な公共事業を実施し、沈滞した景気を盛り上げることが重要であることを説き、環境や社会福祉に配慮した事業を推進すべきであるという。しかしながら、この点について、果たして本当に有用で費用対効果のある公共事業を政府は企画推進することができるのだろうか、という疑問が残る。政府官僚はそこまで賢明なのか?
小野氏の見解は、不況期の経済政策の効果と影響について非常に説得力にあふれ、聴衆を魅了する論理性と一貫性を持っているものの、小野氏の政策の実行性、実行可能性には若干乏しいような気がする。

政策現場で公共事業を企画策定するまでに、政府部内で数多くの委員会を経なければならない。様々な調査結果を収集し、識者や関係者に意見を徴集し、それらを調整させなければならない。このように非常に時間と労力の要る段階を経て、実施に移るのである。(このように政策決定に時間がかかることを実施ラグと呼ぶ。)そのなかで、民主的な議会プロセスの中で多くの人々の支持を集め、有用で社会的意味ある事業を企画して、実施することなどできるものであろうか?

かつてケインズは、「寡婦の古つぼ」論を持ち出して、こう唱えた。街中の失業者を集めよ。そして都会中のゴミを集めよ。失業者に都会のど真ん中に穴を掘らせ、札束を詰め込んだつぼを集めたゴミで埋めさせよ。そして、それを失業者たちに掘り返させよ。
この政策は停滞した経済に良い効果があるとケインズは言ったが、公共事業というと、この「寡婦の古つぼ」論の物語のごとき、利権まみれの無駄なダムや高速道路などの土木事業を思いださせる。もちろんケインズは持論を強調するために「寡婦の古つぼ」論を持ち出したまでで、本気でこのような政策を実施せよとは言っていない。

「寡婦の古つぼ」論は、知ってか知らずか、公共事業を企画実施する難しさを言っているように見える。政府財務省はかつて「ダム論」を持ち出し、公共事業の経済効果は、ダムの水流ように経済の隅々に波及すると主張したが、有用で意味ある事業を実施することができるとは言っていない。

この点で、金融政策は景気を調整、安定化させるうえでかなりお手軽な政策といえる。日本銀行内で開かれる政策決定会合により金融政策が企画され、実際に実施されるには時間はあまりかからない。金融政策の効果が経済に波及するには時間がかかるといわれているものの、政治的影響から独立しているため、実施するまでには時間や労力は要らない。アメリカの経済学者ポール・クルーグマンは、「議長(総裁)の電話一本で金融政策が実施できる」といったが、金融政策は、不況を感知し、すぐに金融緩和に踏み切ることができて即効性に長けている。また、実施に至るまでの過程は透明性がある。したがって、金融市場で活躍する人々の「期待」にも影響を与えることができる。

しかし、金融政策が実際どの程度経済に影響を与えるのかというと理論的分析だけでは結論がでない。すごく実証的な分析が必要である。金融政策はまた、使い方を誤れば物価を不安定に上下させることもあり、金融市場を不安に陥れさせる「諸刃の剣」でもありうる。いずれにせよ、金融政策は経済に何らかの形で影響を与えているが、その大きさについて異論がたくさんある。

Monday, July 17, 2006

Is Consumption Tax Desirable?

Whether the increase of consumption tax is needed is now one of the hottest debates in the Diet. It is said that the system of social welfare is at present unsustainable due to increasing elder retired people and decreasing younger working people. That is, the public expenditure for medical care for the elder is increasing whereas the tax revenue from the workers is decreasing. So more tax revenue is needed to maintain the social welfare.

To finance the medical care for increasing aged people, some politicians advocate the high rate of consumption tax. Others oppose the policymakers increasing tax on consumption on account of its countereffect on the aggregate demand of the economy. What is the impact of consumption tax on the economy? This question seems to be very empirical and is just a controversial topic in the field of economic policy.

N.Gregory Mankiw, a prolific Harvard economics professor and my favorite economist, mentioned the effect of consumption tax in his blog;

Ideally, I would use consumption, rather than income, as the tax base for purposes of raising revenue and redistribution. The benefit of consumption taxes over income taxes is that they do not distort the intertemporal allocation of consumption.

The bottom line is the "intertemporal allocation of consumption". What does it mean? Mankiw told us what it does. Here's the excerpt:

If we are looking at the decision to work today in order to consume today, consumption and income taxes have similar effects. Both discourage work effort.

Consider, however, another margin of adjustment: Work today in order to save (consume in the future). So under a consumption tax, there is a greater incentive to work and save today in order to consume in the future.

Let W be the real wage(the wage in terms of goods or leisure), r be the (real) interest rate, and t be the tax rate.

Suppose I work today in order to save and consume in 1 year. Under an income tax, the amount of consumption I get for one hour of work is:

(1-t)W×[1+(1-t)r] .....(1)

Under a consumption tax, the amount of consumption I get is:

(1-t)W×[1+r] .....(2)

Now compare these after-tax relative prices to the before-tax relative price.

And suppose I work today in order to save and consume in 2 years. Under an income tax, the amount of consumption I get for one hour of work is:

(1-t)W×[1+(1-t)r]×[1+(1-t)r] .....(3)

Under a consumption tax, the amount of consumption I get is:

(1-t)W×[1+r]×[1+r] .....(4)

You can see that the consumption tax creates a constant gap: the after-tax relative price is 1-t times the before-tax relative price, regardless of years. However, an income tax creates a growing gap. As years go by, it becomes greater between the before-tax and after-tax relative price.

In other words, a consumption tax taxes current and future consumption at the same rate, whereas an income tax in effect taxes future consumption at a higher rate than current consumption.The bottom line: Both consumption taxes and income taxes discourage work, but income taxes discourage saving(future consumption) as well.

In sum, increasing a consumption tax discourages working and doesn't discourage saving. Higher rate of income tax discourages both working and saving. That is, an increase in a consumption tax gives no influence on future consumption and its utility, but a rise in a rate of income tax influences both future consumption and its welfare negatively. In the viewpoint of macroeconomics, increasing an income tax affects saving and then capital accumulation inversely. And so it affects the growth of economy and the standard of living and the welfare of future generations negatively.

Are You Happy with Capitalism

I have been born and now living in the country whose society is called "Capitalism". As you know, Japan is the second largest developed country of capitalist society. In this society, we can run a company freely if we want to, and can produce what we want. We can work for what we hope and the more we work, the better lives we can live. We can earn enough money to get a better life. Most of our trades, producing and selling goods and services, are not restricted by the central government. (Of course, for example, producing and selling drugs, chemicals and foods is, to the large extent, regulated legally by some governmental agencies.)

What on earth is capitalism defined? Wikipedia says;

"Capitalism is an economic system in which the means of production are mostly privately owned, and capital is invested in the production, distribution and other trade of goods and services, for profit. These include factors of production such as land and other natural resources, labor and capital goods. Capitalism is also usually considered to involve the right of individuals and groups of individuals acting as "legal persons" (or corporations) to trade in a free market.

The term also refers to several theories that developed in the context of the Industrial Revolution and the Cold War meant to explain, justify, or critique the private ownership of capital, to explain the operation of such markets, and to guide the application or elimination of government regulation of property and markets."

There are two ways of the term capitalism. It is defined as (1) an economic system and (2) several theories. We usually use this term with (2). In Japan, economics has for long been taught as a research field of studying the dynamics of capitalism. So has the Maxist economics, for instance. Recently many departments of economics at universities in Japan have taught economics as a research of the behaviors of consumers, firms and their interactions with market economy. Microeconomics teaches so and has become the central and fundamental economics in many other economics such as public economics, labor economics and so on.

We don't usually use the word capitalism when studying microeconomics except in the old economics textbooks. Microeconomics can be regarded as a mathematical theory of the system of capitalism. And the economic system we now enjoy has not been recognized as "capitalism" but "normal system" that forms the economic basis of our lives.

The term capitalism is used well, compared to socialism or communism. Wikipedia also says;

"During the last century capitalism has been contrasted with planned economies. Most developed countries are usually regarded as capitalist, but they are also often called mixed economies due to government ownership and regulation of production, trade, commerce, taxation, money-supply, and physical infrastructure."

Socialism (or communism) is, so-called, an economic system and thought of perfect government ownership and regulation of business. Socialist thinker says in the capitalist economy the private ownership of capital always devides the people between the rich and the poor. The people who have capital become richer than the people who don't.

Capitalist system results in a severe disparity and thus harsh frustration and the loss of humanity in the society. Such a situation caused by the development of capitalism is said to be an "alienation", which means the cases of the people left out of their society.

The prime problem of capitalism is the private ownership of capital, which brings about the serious conflicts between labors and capitalists, in other words, have-nots and haves among the people. That is why the capitalist society will be someday broken up by the civil revolution and then the society for the working class will be come true.

Some socialists advocate the above prophetic theory on the gradual development of history. However such a thing has not happened yet. Now in the capitalist society the collapse of capitalism or the revolution by the working class does not seem to happen. By contrast, the attempt of socialist society did not ever suceed historically. It seems the US, the largest capitalist society won against the USSR, the largest socialist system.

The system of capitalism seems to work better than that of socialism. However in fact it is not obvious whether the capitalism is better or not. We are now content with the performance and outcomes of capitalist society; wealthier lives, substantial medicine and well-developed social infrastructures. Strictly speaking, we cannot help enjoying our lives in the capitalist society.

Sunday, July 09, 2006

North Korea Fights with North Korea

North Korea launched 7 missiles in the morning on 4th July, Japan standard time. In Japan, there are many conjectures about the launch, why did North Korea do such an unthinkable thing?

We got to know that North Korea is under the war and wondered what it is fighting with now. What are the North Korean people who say they are proud of being in North Korea actually thinking about the present situations of their country? I can't imagine what they are now considering in their everyday lives.

Comparing North Korea with Japan, it becomes clearer that Japan is much wealthier than North Korea materially. It is obvious that the military politics is ridiculous. We can find that the mechanism of market economy works much better than that of comunist economy. The difficulties of North Korea tell us that peace is great and war is not.

No military makes us wealthy. In the historical perspective, not joining any war has made Japan the second biggist economy in the world. No military resulted in the economic prosperity we are now enjoying in Japan.

This is not a coincidence but a strongly political intention. The policy of having to do with no military has been pursued by the LDP (the Liberal Democratic Party) since the defeat against the U.S. Such a way of post-war internal policy is, what is called, "Yoshida doctrine" , which was named from Shigeru Yoshida, the post-war prominent prime minister, and led Japan not to have its own arms. (Some people may say the Self Defence is its arms. However, I think it is prohibited from fighting with the other foreign country. It cannot use its arms even for emergency such as a sudden attack by the other country.)

However, the Korea War(1950-53) triggered Japan to recover from the devastated land due to the air raid by B-29. It demanded for the fiber goods from Japan. Since then, Japan could accomplish a splendidly high rate of economic growth. The heavy industries prospered and then supplied the Japanese people with a great deal of consumer goods such as cars, air conditioners and fridges.

Japan has not provided the world with munitions. Certainly, some companies just like Mitsubishi Heavy Industries, LTD are manufacturing weapons such as battleships and tanks, but such military factories are not the main factor to make the modern Japanese economy prosper. Producing a lot of consumer goods is thought to be the prime reason for the economic development.

The people in the countries ruled by the militaly-leaning government are always poor. To the contrary, the people in the democratic regime are generally free from poverty. As is quoted from an old Samuelson's economics textbook, the "butter or gun" tale can tell us the reason. North Korea has been in the war since the beginning of the Korea War. On the other hand, Japan ended the war more than 60 years ago, and now has been in the peace and prosperity. North Korea spends more resources(time, money and energy) on the gun(weapons), whereas Japan more on the butter(consumer goods). It is not because of the economic sanctions toward North Korea but the policy of extremely high priority on military.

Here is the first question; who is North Korea fighting with? The Republic of Korea? The U.S.? Or Japan? None of them. North Korea is fighting with itself. Its real enemy is the poverty and anxiety caused by the military-leaning policy.

北朝鮮と戦争する北朝鮮

北朝鮮が7回に渡ってミサイルを発射した。その意味は何か? 日本では、様々な憶測を呼んでいる中、日本と隣の国である北朝鮮国内では、朝鮮戦争から50年以上たった今なお戦争が続いていることを思い知らされることとなった。

北朝鮮は一体誰と戦っているのか? 常に国を守ることを誇りに思っていることを明言する北朝鮮人民の本当の胸のうちはいかなるものなのか? 北朝鮮に関する報道を耳にする度に、そんな疑問が沸いてでてくる。 そして、常々日本に生まれてよかったこと、そして、今なお戦争する北朝鮮に生まれてこなくてよかったことを思う。

日本と北朝鮮を比較すると、社会主義がいかに失敗したのかがよくわかると同時に、市場経済がいかに優れているのかがよくわかる。先軍政治がいかに愚かしいことなのかが明らかになる。平和がいかに素晴らしいのかがわかる。政治的、思想的自由がいかに重要なのかがよくわかる。 

日本は戦後「吉田ドクトリン」という、経済重視の政治を行ってきた。一部識者は日本を軍事大国であるというが、日本が戦後軍事を何よりも優先し、ミサイル発射実験を行ったことはなかった。 そして、他国を野蛮な言葉を以って誹謗中傷し、非難し、脅迫したことはなかった。

日本が軍事政治でなかった証拠は、まさに戦後世界第2位の経済大国になったことである。サミュエルソンの古い教科書に載っている「大砲とバター」の例に倣えば、日本は希少な資源(人、モノ、カネ)を大砲(軍事)に回さず、バター(民間産業)に回したのである。だからこそ、日本は豊かになりえたのである。 

しかしながら、皮肉にも、今日の日本の発展は朝鮮の存在なしにはありえなかった。日本は、1950年の朝鮮戦争による特需で復興したからだ。もし朝鮮戦争がなければ、もう少し日本の復興は遅れていたのかもしれない。

産軍複合体(民間産業と軍隊がくっつき、互いに発展すること)と言われるが、日本が過去世界に兵器を売って発展したと見ることは出来ない。三菱重工が戦車を作っていることは有名だが、それが日本の発展の牽引とまではいえない。造船、鉄鋼(これらがほとんど軍事用ではなかった)という重化学工業の発展が高度成長をもたらし、日本は貿易摩擦を生んだものの、世界の市民に豊かさを与える財(テレビ、冷蔵庫、洗濯機など)を供給したのである。

1950年以来、北朝鮮はいまだに戦争をしている。かつて日本は貧しかったが、今は世界で2番目に豊かだ。さて、北朝鮮は誰と戦争しているのか? 豊かになった日本となのか? 韓国あるいは米国となのか? 北朝鮮の最大の敵はおそらく国内の貧しさとそれによる不満、そして何よりもそれを生み出した北朝鮮自身とではないのか。

Monday, July 03, 2006

ハシリュー政策

橋本龍太郎氏はバブル経済の絶頂期から、長期停滞までの間に蔵相、通産相、首相といった要職を務めた。

1989年、海部内閣の蔵相として、金融機関の不動産融資に上限を設ける「総量規制」を導入し、バブル退治をした。

1994年、村山内閣の通産相として、日米自動車摩擦の回避、解決に尽力し、1996年首相に就任する。

橋本氏は、①行政、②財政、③経済、④金融システム、⑤社会保障、⑥教育の「6大構造改革」を掲げ、主に行財政改革、金融制度の抜本的改革(金融ビッグバン)に取り組んだ。

行財政改革は、「財政構造改革法」を成立させ、財政赤字の対GDP比を3%以内に抑え、消費税率を3%から5%に引き上げ、健康保険を1割から3割負担に増した。これは来る少子高齢化社会に向けた財政健全化策だったが、この緊縮財政と増税により、経済は低迷し、金融恐慌を招いた。結局、橋本氏は景気浮揚策をとらざるを得なかった。

また、橋本氏の目玉政策として金融ビッグバンがある。これは、金融市場の規制を緩和・撤廃して、金融商品・サービスの利便性を高め、金融市場の自由化、効率化、活性化や国際化をはかるものと解釈されている。

日本の金融市場のより円滑、効率的に資金を循環させることを目的に、間接金融(銀行を仲介する金融取引)から直接金融(株式、国債市場など銀行を仲介しない金融取引)へと移行するために規制改革を図った。証券会社を免許制から登録制へ変更し、株式売買委託手数料の自由化を進めたことはその一例である。これにより、個人の資産運用の可能性が定期預金から、株式、国債や投資信託などへ大きく広がり、また企業の資金調達も直接市場で行う機会が増えた。

また、外為法を改正して、一般企業でも外貨を自由に取引できるように、外国為替業務の自由化をはかった。個人でも、外貨預金が自由に持てるようになった。

さらに、銀行と証券、生保と損保の業務の相互参入が許され、持ち株会社(他会社の株式を所有することにより、その会社の事業活動を支配することを主な事業とする会社のことで、自ら事業活動をしない場合を、特に「純粋持ち株会社」という。自らも事業を行っているのは「事業持ち株会社」。)を通して、銀行は証券業務に、証券会社は銀行業務に参入できるようになった。保険業界でも、生命保険と損害保険の業務相互乗り入れが始まった。

巨大金融コングロマリット(三井住友、三菱東京UFJ、みずほ)が金融ビッグバンを期に登場し、金融の大再編が起こったことは記憶に新しい。しかしながら、日本の金融サービスがより便利で、使いやすいものになったかどうかはよくわからない。

Sunday, July 02, 2006

橋本龍太郎と小泉純一郎

元首相橋本龍太郎氏が7月1日亡くなった。彼は「ハシリュー」で親しまれた。彼は偉大な政治家だったのか? その真価は後ほど問われようが、橋本氏は行政改革、省庁再編に尽力したといわれている。 財政難を理由に、消費税を3%から5%へ増税したことで、不況を深刻化させたことは、橋本氏の大きな失点といわれているが、消費税を上げたタイミングが悪かったにせよ、来るべき少子高齢化社会を見込めば消費税は上げざるを得なかった。その点で、橋本氏は間違っていなかった。

しかしながら、私は現在の首相である小泉純一郎氏の方が、郵政改革、道路公団の民営化、イラク派兵、日米同盟強化などの点でより大きな仕事をしたと思っている。

小泉改革は、これからの少子化日本に向けて、出来るだけ民間に出来ることは民間に任せ、政府の規模を小さくしようとし、その役割を(まだまだ未完成ながら)限定化させようとした。なによりも、歳出構造を見直そうとし、財政赤字、政府債務の削減に向けて、国債30兆円枠を設定したり、プライマリーバランス(単年度の財政黒字)達成目標を掲げるなど、尽力した意義は大きい。

一方で、小泉改革は格差社会を作ったといわれているが、その真偽はよくわかっていない。いずれにせよ、歳出削減、歳出構造の見直し、公務員の削減をはっきりと訴えたことは配点が高いといえる。